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 わたしは京都の伏見家の末の娘として生を受け、月子と名付けられた。  名付け親は、八咫烏の長である金烏と聞いている。  母は病弱でわたしを産んだ後、まもなく世を去った。だからわたしは母の顔を知らない。  伏見家も陰陽道を繋ぐ一族だが、母の血統は更に謎めいている。父の三度目の妻として伏見家に嫁いだ時、母は僅か十六だったという。父に見初められたというが、実際は、八咫烏の長、金烏の目に留まり、父と引き合わせられたらしい。  それであるから、母の出自は、金烏以外は誰も知らない。父ですら母がどこの誰であるか、正確なことは知らずにいたのだった。  金烏が引き合わせたくらいなのだから、八咫烏と無縁の者ではないだろう。  陰陽道に長けた血筋であるのは、ほぼ確かだと思われる。しかし、生前母がなんらかの術を使ったと言う話は聞かないし、父もまた、母の陰陽師としての活躍について語ることはない。  「美しい人であった。不可思議な方で、すべてを見通す目をお持ちだった」  というのが、家人らの一致した意見であり、父もまた、同様に思っているようだった。  亡き母は十六で伏見家に嫁いだというが、同じ十六の年に、わたしは大烏三人衆の訪問を受けた。眩しいほどの月が空に貼りつき、凍てつくような木枯らしが庭を舞う晩だった。  わたしは生まれながらに予知の力に恵まれており、その晩も、なにか重大なことがあることを誰に教わらずとも知っていた。  部屋の闇の中に着物を纏ったまま座っていると、陰陽師の装束を纏った五人の姉が音もなく現れ、無言でわたしを立たせた。  衣をつけられ、烏帽子をつけられ、化粧を施されたわたしは一人前の陰陽師となり、恐ろしいまでに明るい光を透かした障子を手を触れずに開いたのだった。  するすると開いた障子の向こうは、先日からそぼそぼと降り続けた冷たい雨が水たまりを作っている。まばゆい満月に照らされた庭は、全体的に光っていた。  松の木の向こうにある小さな池に、木枯らしが荒い水面を作った。  その時、白い月光が揺れる水面に乱反射し、一瞬わたしは目を閉じた。  目を開いた時、庭には大烏三人衆が重々しく立っていたのだった。  「伏見月子よ」  と、大烏の一人、荒木が呼びかけ手招きをした。  わたしは白足袋のまま濡れた庭に降りたが、足が泥に汚れることはなかった。ふわりと足裏は浮き、まるで引き寄せられるかのように、歩かぬまま大烏の前に向かったのである。  「今宵より、月子は十二烏の一員となり、八咫烏の使命のために奔走すべし」  大烏の一人、小串が柔らかな声音で告げる。    八咫烏の使命。  それは、幼い頃から父から聞かされてきたことだ。  陰陽師の家に生まれた者として、八咫烏に指名されることがあるならば、それは子々孫々に語り継がれるほどの栄光なのだと。  姉たちは館の中に身を潜めている。  恐らく障子の影に隠れている。  八咫烏という集団は、その存在を隠し通してきた。天皇の裏で、不可思議な力により国を操作している集団である。人に知られるわけにはいかないのだ。  だから、例え八咫烏のことを知っていても、その一員でないのならば、知らぬ顔をしなければならないのだった。  万が一、今、家人の誰かが障子から顔を出し、庭の様子を見てしまったならば、命を失わねばならぬこととなる。  「その使命は、薩摩にある」  最後の大烏、白井の声が真っすぐにわたしに届いた。
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