第一部 青合羽

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 「正助」  襖から、母のフクが現れた。  フクは冷静を装っていたが、顔が僅かに引きつっていた。  「話は聞きました」  正助は母に頷いて見せた。そして、たった今帰宅したばかりの玄関に手をかけた。  亥の刻である。夜更けに人を訪れるのは非常識だ。だが、あの男ならばきっと起きているのに違いない。  正助は、ほぼ確信していた。   「キチ、ひとつ聞っどん、そん変な男は青か合羽を纏うちょらんじゃったか」  キチは兄の顔を大きな目で見上げた。  「はい。兄いの言う通り、青か合羽を着た男やった」    正助は、蓑を着けなおした。  そして、母と妹に、戸締りをしっかりすること、自分が帰るまで誰であっても家に入れるなと言った。    「吉之助さんのところに行ってくる。太吉を護って休んでいてくれ」  正助は玄関を開いた。  狭く貧しい猫のくそ小路に、吹雪が縦横無尽に荒れ回っている。足首までつかるほど雪は積もっており、一歩ごとに顔面に細かい冷たいものが叩きつけられた。  息継ぎすら苦しい中で、正助は駆けた。駆けながらも、手は腰に差した刀にかけられていた。  万が一、怪人が現れ切りつけてきても対処できるようにだ。  青い合羽の男。  それは、ここ最近、城下で噂になっていた。  急な知らせがあると言い、夜更けに訪れ、家人を一人、また一人と連れ去ってゆく。連れ去られた家人は戻らない。  戻らないまま、翌朝、無残な死体となり発見される。  (上士の家ばかり狙われていると聞いていたのだが、まさか、こんな貧乏侍の町にまで現れるとは)  吹雪の中を走りながら、正吉は眉を寄せる。  怪人の正体は未だに分からない。捜査しても、その足取りがどうしてもつかめないのだ。  (一体、なんなのだ)    青合羽の男の奇怪な事件については、巷の話題になっている。正助は噂話には興味がない。しかし、今回は自分の家まで巻き込まれているのだ。  父の利世が留守なので、正助がこの件を真っ先に相談する相手は、一人しかいなかった。  猫のくそ通りのもう一つ先の通りに、西郷家はある。そこの長男である吉之助は、正助の親友だった。  一刻も早く吉之助に相談をし、できれば夜が明ける前に、連れ去られた島田家の家人の行方を追いたい。  なぜならば。  (朝になって発見さるったぁ、死体となった姿や。朝では遅かど。夜のうちならば、もしかしたら、助かっかもしれん)  「吉之助さあ」  正助は走りながら、思わず、吹雪の中に向かい叫んだのだった。
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