世界は美しいものにあふれている

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 持って産まれた者と持たず産み落とされた者  とや……日野皐月(ひの さつき)との記憶は、だいぶ昔に遡る。  その頃、わたしはまだ園児だった。  親戚の集いで、年に数回顔を合わせる程度の仲。  いちばん年上だった日野が子どもたちのまとめ役になっていて、わたしも混ざって遊んでいた。 「本当にあの富山?」  わたしの知る日野は肥満児だった。  目の前に座る、同姓同名の別人としか思えない女にぎょろぎょろ視線を這わせる。  シックなビジネススーツ姿から受ける印象は、いかにもお堅そうな職業の人間といったところ。  化粧っ気もなく、髪型も栗色の髪をひとつにまとめただけ。  派手さはないのに、無駄なく整った目鼻立ちは視線が吸い寄せられる存在感を放っていた。 「きれいなお姉さんになったろう?」 「そうね。超垢抜けたね」  さすがDBだね、と皮肉りたい嫉妬心を引っ込める。  VBとDB、両者の違いを語る上でもっとも分かりやすいのは外見だ。  若い世代のDBたちは、例外なく整った容姿をしている。  遺伝子疾患のない健常児を生み出すことに成功しました。  そこで終わらないのが人間の飽くなき探究と欲求だ。  次は低身長や不細工で苦しむ子がいない未来にして。  そんな注文が飛び出すに決まっている。  親の容姿に関係なく美形が生み出せるようになれば、出産に踏み切る男女も増えるだろう。  喫緊の課題である出生率を上げるため、政府は遺伝子工学の研究を積極的に支援しているのだ。 「いや、光岡さんも……」 「さんはいらない」 「光岡も、ずいぶんと見違えたね」 「……どうも」  あんたらからすりゃ、間違い探し程度の変化だろうがな。 「へー、素敵な従姉さんですね」  職員さんの声が弾む。  知り合い同士の再会ってシチュに運命的なものを感じているのだろうか。  隠しきれない好奇心が瞳にあらわれていた。 「あのさ、なにが目的?」  にこやかな空気をぶったぎるように、わたしは本題に切り込む。  大方、他の親族からわたしを押し付けられたに違いない。  里親登録は同県に居を構える人に限られるから、日野はそう遠くない場所に住んでいるはず。  手頃な親戚の監視下に置いて、VBが問題行動を起こさないか見張っておけ。  そういう筋書きとしか思えなかった。 「目的? 私はただ、サポートが不十分な中高生の力になりたいと思っただけだよ」 「彰子ちゃんはびっくりしただろうけど、本当に偶然なの。ちなみに日野さんは養育里親の区分になるね。親族里親は三親等までだから」  児童の委託と判断はすべて児相側が決めることであり、特定の子を里親が決めることはできないと職員さんは説明してくれた。  退所が近い子供、という日野の希望に踏まえて検討した結果。  たまたまわたしが適正だと選ばれただけらしい。  わたしの疑念を読み取ったのか、日野は安心させるように柔らかい笑みを浮かべた。  一瞬だけ、富山だった頃の彼女の面影が重なる。 「大丈夫。君のことは、ここの施設以外には決して漏らしたりしないよ」 「…………」  素直にはいそうですかと従えず、押し黙ってしまう。  今まで誰も連絡をよこさなかったくせに。  退所間近になって現れた親戚なんて、ぜったい裏があるに決まっている。  何も返さないわたしと、日野の間に沈黙が流れる。  しばしの重い静寂ののち、日野は戸惑うわたしへ言葉をよこした。  さっきよりも優しく、儚げな口調で。 「でも、光岡からすれば受け入れがたいよね。その場合は他を当たるよ。君が好きに決めるといい」  感情で結論を出すなら、反発のほうが強かった。  歳の近い従姉に、養ってもらう。  屈辱感を抱かないと聞かれたら嘘になる。  だけど、ここでわたしが断ればもう里親の話は舞い込んでこないだろう。  わたしは普通の暮らしが欲しい。  親から捨てられたみじめなVBじゃなくなりたい。  そのためなら、なんだってする。  その言葉通り、今までなんだってしてきただろうが。  日野と再会したことは、努力が報われた結果かもしれないと、どうして考えられない。  まだ経済的に自立できていない子供であるわたしは、結局大人の助けが必要なのだ。 「……日野、皐月さん」  こぶしを握り、わたしは立ち上がった。  いきなりどうしたと目を丸くする2人に向かって、勢いよく頭を下げる。 「どうか、わたしの里親になっていただけますか」  ゆがむ唇を噛みしめる。  わたしはひたすら無礼だった。  挨拶もせず、刺々しい態度で最初の面談を済ませようとしていた。  最悪の印象に取られても不思議じゃない。  詫びるように、情けなさで真っ赤に染まった顔を覆い隠すように。  頭を垂れたまま、わたしはその場に佇む。 「光岡、顔を上げなさい」  日野はわたしの隣に立つと、両肩に手を置いた。  言われるがまま、日野に焦点を合わせる。  無意識にわたしの肩は上がっていた。 「勇気を出してくれてありがとう。安心して巣立っていける日まで、私がすべての不安から君を守ることを約束します」  わたしと同じくらいの背丈、童顔寄りの顔立ち。やっぱりこの外見で、里親と呼ぶには無理がある。  耳障りの良い言葉も、口にするだけなら簡単だ。  だけど日野が放った声には、単なる口約束には聞こえない説得力がこもっていた。  普段からわたしくらいの年齢の子を相手にしているような、妙な安心感を覚える。  そう思えてしまうあたり、悔しいけどちゃんと審査を通っただけある。  互いの意思を確認したところで、最初の面談は終わった。  これだけですぐ同居生活が始まるわけではない。  最初は1時間ほどの交流から始まり、徐々に時間を伸ばして関係を育んでいく仕組みらしい。  わたしは、うまくやっていけるだろうか。  まだほどけていない警戒心を胸に、職員さんに続いて日野を玄関口まで見送る。 「ところで今なにしてんの? 公務員とは聞いたけど」 「教員だよ。高校の」 「ああ、言われると納得」  県内に住んでいるのだから、もしかしたら知ってる学校に赴任しているのだろうか。 「今年の春から2年目で、ようやく教壇に立てるんだ」 「中高だと、1年目は新任研修があるからほぼ勉強期間なんだっけ?」 「そうだよ。だから、4月からよろしくね」  …………はい?  わたしの脳髄に、今日2度目の雷が落ちた。
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