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42 押鴨家
「隣町にビジネスホテルが出来てただろ。そこに泊まるよ」
「何でだよ。うち来いよ」
良輔の言葉に、俺は「でも」と視線をさ迷わせた。
「困る、だろ? 急に言われても。それに、この小さな町じゃ噂はすぐに広まるじゃん」
「また後悔したくないんだよ」
「っ、う、ん……」
腕を引く手の強さに、ホッとする。俺はずっと自分が好きになれなかったけれど、こんな俺を、良輔は必要としてくれている。それが嬉しくて、こそばゆい。
あの時訪ねた時のまま、殆ど変わらない家の外観を見つめ、心臓がドクンと高鳴った。良輔が心配そうに振り返る。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ。ちょっと、緊張してるだけ」
良く考えたら、彼氏の家に遊びに来たわけだ。しかも親が怪我したって時に。かなり空気が読めない気がする。
「なあ、やっぱ……」
また今度、そう言おうとしたが、良輔はさっさとドアを開けてしまう。
「ただいま」
「っ、」
玄関に入ると、他人の家特有の、見知らぬ匂いがした。玄関から続く廊下の真横にあるキッチンから、女性が顔を見せた。目元が良輔に良く似ている。母親だろう。
「お帰りなさい。あら、お客さん?」
「ん。ホラ、言ってたヤツ」
「あー、あなたなのね。こんにちは。どうぞ上がって」
「お、お邪魔しますっ」
言ってたってなんだ。なにを言ってたんだ。
良輔の脇腹を突っつき、耳許に囁く。
「おい、そう言えば俺、手土産も持ってないぞっ」
「気にするなよ。平気だから」
「そういう問題じゃ」
ああ、こんなことなら、東京駅で何か買ってくれば良かった。まさか良輔の実家に普通にお邪魔することになるなんて、思わなかったじゃん。
「俺の部屋、こっち」
「あ、うん」
そう言われ、部屋に案内される。良輔の部屋だったらしい場所は、畳敷きの部屋だった。テレビにゲーム機がそのままになっていて、本棚にはマンガ本が多かった。
「片付けろって言われてるんだけどさ」
「捨てられないよなー」
定期的に掃除されているのだろう。部屋は埃など積もっていない。良輔がどんな風に生活していたのか、想像が出来た。
「……中学の頃は、妹と使ってたんだ。当時は婆ちゃんも住んでて」
「妹、さん」
祖母は今は施設に入っているらしい。祖母、両親、妹。あの当時、すぐに頷けなかった理由を察して恥じる。
「妹さんは、実家に?」
「ああ。地元の信用金庫に入社して。ここから通ってるよ」
四つ下らしい。兄だと知って、納得する。きっと、面倒見が良くて、優しい兄なのだろう。
「ちょっと座ってて。泊まるって言ってくる」
「あ、うん」
何だか悪いな、と思いながら、素直に待つことにする。
(良輔の部屋、か……)
ほのかな緊張と好奇心。この部屋で過ごした良輔の時間を想うと、感慨深い。
俺は、自分が過去を知られたくないと言う想いがあって、他人に過去を聞くことをしない。だから、良輔の家族のことも故郷のことも、聞くことをしなかった。聞いたら、自分も言うことになるから。
良輔はそれを知っていたから、何も言わなかったのかもしれない。
「ただいま。紅茶で良い? ティーバッグだけど」
「あ、ありがとう。悪いな」
トレイには紅茶のカップと、どら焼きが載っていた。どら焼きの包みを開けて一口齧ってから、良輔が呟く。
「本当は、言わなきゃって。思ってたんだ。でも、お前が地元嫌ってるの、知ってたから……ゴメン」
「いや、良いよ。言いづらいの、解ったし。言われてたら、どんな反応したか、ちょっと解らないし」
正直に言われていたら、良輔を避けてしまっていた気がする。そのまま疎遠になって、俺は今でもビッチをやっていただろう。
「……なあ」
良輔の手が、俺の手に重なった。
「ん?」
「……歩」
「え?」
「良いだろ、そろそろ」
「わ、わざわざ言わなくても」
ドキドキと、心臓が鳴る。距離が近い。名前で呼ばれただけなのに、なぜか妙に特別な気がした。
「良いってことだな」
「っ、ん……」
小さく頷いた顎を指で上げられ、唇が重なる。ちゅ、と音を立てて、キスが深くなった。
良輔の実家で、家族も居るのに。背徳感に、目眩がする。
「っ、ふ……甘い」
「アンコだな」
思わずプッと笑って、良輔の胸を押し返した。
「会社、休んだの?」
「おう。電話繋がらないし、もう帰ってこないのかと思った」
「あー、マジでゴメン。慌ててたからさ」
「仕方がないよ。それに、こうでもなかったら、地元に帰ってこようなんて思わなかったし」
良輔が微笑みながら髪を撫でる
「久し振りの故郷はどう」
「んー。なんか、すごい変わったよな。全然、別の土地みたいだ」
「不景気で閉めた店とか工場とか多いんだ。空き家も多い。その分、新しいものも増えたよ」
変わってないものも多いけどな。と紅茶を啜る。
「――子供の頃は、町のどこかに境界線があって、そこからは出られないんだと思ってた。息苦しくて、ここが嫌だった」
「……ああ」
「でも、越えてみたら、どうってことなかった。俺が、大人になったのかな」
「そうかも」
そうかもしれない。違うかも。少なくても俺は、良輔が居なかったら一生越えることはなかっただろう。
「俺は、ここが嫌いじゃない。もちろん、千葉も好きだけど」
「うん」
良輔の言葉に頷く。素直にそう思えた。心地よい時間が過ぎていく。良輔と、もっと早く話せば良かったと想い、同時にこれから話せば良いのだと思った。
カップのお茶がすっかりなくなった頃、不意に襖の向こうから呼び声がかかった。
「良輔、歩くん。さあ、働かざる者食うべからずよ。はい、立って、手伝って!」
笑いながらそういうお母さんに、反射的に立ち上がる。
「あっ、はいっ」
「悪いな。家ではこうなんだ」
良輔も笑っている。いつものことらしい。
「包丁使える?」
「はい」
「じゃあ、これを切って。薬味よ」
言われるままにショウガと大葉を切り始める。横から「上手ねえ」と過剰に褒めるものだから、なんだか恥ずかしかった。
良輔の方は鍋を取り出したり桶を用意したり、雑用をやらされている。いつもの風景なんだろうと思うと微笑ましく、その景色に自分を加えてもらえたことが嬉しくてならなかった。
そのうち妹だという美佳が帰宅し、挨拶を交わした。兄弟がいない俺には、少し羨ましい。
「同窓会で帰るって言ってたのに、今年は恋人が出来たから帰らなかったとか言うんですよ。うちの兄」
「ぶっ」
美佳の言葉に、反射的に吹き出す。
(お前、なに言ってんだよ)
顔が赤くなるのを堪えつつ、「そうなんだ」と平静を装うと、美佳は寿司桶に具材を散らしながらニヤニヤ笑った。
「でもまあ、こうやって追いかけてきちゃう恋人なら、可愛いのも頷けますけどね」
「――は?」
ん?
首を傾げる俺に、美佳がきゃあきゃあと笑う。
「どういう馴れ初めなんですか?」
「美佳、埃が入るでしょ」
「あ、はーい」
お母さんにたしなめられ、美佳はおとなしくなる。
「あんたは知らないだろうけど、歩くんは同じ中学なのよ」
「へー、そうなんだー」
「ちょっと待て、良輔?」
「ん? なんだ?」
グラスを用意していた良輔を捕まえ、廊下に引っ張っていく。美佳が好奇心むき出しの表情で見てきたが、愛想笑いで誤魔化した。
「お、お前、言ったの?」
「何を?」
「その、俺とお前がっ……」
俺の言葉に、良輔は「ああ」と思い当たったように頷いた。
「そりゃあ、友達とは紹介できないだろ」
いや、そうだけど。そうだけど。
(心の準備はっ!?)
何か、俺はいきなりやって来て、恋人として紹介されたのか。しかもなんか普通にうけいれられてるし。
「お前、相談しろよ……」
「相談したら、言うなって言うだろ」
それはそう。
ぐっと言葉を詰まらせ、黙り込む。そうだけど。そうだけどさ。
良輔が恋人だと紹介してくれたのは嬉しい。普通に受け入れている様子の押鴨家の様子もありがたい。けど、それならなおさら、ちゃんと挨拶したかったじゃないか。
「……歩の気持ちはわかるけど、色々説明しにくいこともあるだろ」
「付き合ってる以上に説明しにくいことある?」
「……馴れ初め言えんの?」
「すみませんでした」
そうだった。そもそも裏アカバレがスタートだったわ。
「付き合ったのもノリみたいなもんだもんな」
はは、と乾いた笑いを漏らすと、良輔は不満そうな顔をした。
「俺は、ノリじゃないぞ」
「え?」
「嫉妬したからに、決まってんだろ。お前が他のヤツと寝てるの、嫌だった」
「――は」
え、そうなの? そう、だったのか。
カァと、顔が熱くなる。確かに、言われてみたら。うん。
「同窓会だって、それで行かなかったんだぞ。お前マジでもうやめろよ」
そう言えば、俺が同窓会に行かない理由を、「何人かヤったから?」と言った気がする。実際、多分そいつら居るんだよな。
「ゴメンって。もう、しないし」
「解ってる」
はぁ、と息を吐く良輔に、ゴメンねと謝りながら頬にキスしたら、顔が緩んでいたので許して貰えたのだと想う。
その後、押鴨家の人々と、一緒のテーブルを囲んで団らんした。家族っぽい輪の中に入るのは初めてだった。美佳の好奇心を誤魔化しながら、俺は暖かな空気に始終ソワソワしっぱなしだった。
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