ごめんね

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 栄一郎(えいいちろう)は東京へ向かう新幹線の中で、娘、美幸(みゆき)の写真を見ている。栄一郎は数十年も美幸に会っていない。どこに行ったんだろう。何をしているんだろう。気になって気になってしょうがなかった。だが、全く知る事ができなかった。  栄一郎は40年前、泥棒をして逮捕された。逮捕されたことにより、家族はめちゃくちゃになった。母は自殺し、1人娘はいじめられた。栄一郎は自分の起こしたことを反省していた。だが、もう許してくれないだろうと思っていた。自分は泥棒によって皆をめちゃくちゃにしてしまった。それは一生背負わなければならない十字架のようなものだ。  出所して、家に帰ってきた頃には、家はすでになく、大きなマンションが建っていたという。家族はどこに行ったんだろう。会いたくなった栄一郎は、家族がどこにいるのか探した。だが、誰も聞き耳を持たない。自分が泥棒をしてしまったから、会わせようとしないんだろう。栄一郎は絶望した。自分は家族に再会する資格なんてないんだろうか?  それから、栄一郎は田舎に移り住み、農家としてひっそりと暮らしていたという。だが、泥棒だった栄一郎は誰からも信頼してもらえなかったという。それでも、栄一郎は懸命に農作業をした。そして、ある程度は信頼を得る事ができた。  そして栄一郎は思った。もう一度、家族に会いたい。会って、泥棒の事を謝りたい。だが、どこにいるかわからない。探偵を使って調べたが、なかなか見つからない。会えないまま、孤独に人生を終えてしまうんだろうか? だんだんそう思うようになってきた。  だが去年、がんが見つかった。治療で何とかするものの、それでも余命は1年だという。何としてもそれまでに会いたいと思った。余命の1年を迎えようとした時、情報が入った。両親と妻は死に、娘が東京に住んでいるという。何としても会いたいと思った栄一郎は、東京に向かう事にした。  栄一郎は東京駅にやって来た。東京はすっかり様変わりしていた。真新しい高層ビルが立ち並び、東京駅は信じられないほど大きくなった。それだけではない。そこを走る車両は様変わりした。新幹線も在来線も新しい車両ばかりになった。出迎えてくれたのは旧友の大樹(だいき)だ。今日、娘に会いに行くという事で迎えに来た。  栄一郎は改札から出てきた。改札には大樹がいる。数十分前から待っていたようだ。 「栄一郎さん」 「ああ」  栄一郎は笑みを浮かべた。数十年ぶりに再会できた。本当に嬉しい。もう会えないんじゃないかと思っていた。 「元気でよかった。がんに侵されたと知った時は驚いたけど」  大樹は心配していた。いつ死んでもおかしくない状況なので、体調が思わしくないんじゃないかと思った。だが、どうやら大丈夫だったようだ。 「大丈夫だよ」  栄一郎は大丈夫だと言っている。だが、本当は大丈夫じゃない。1週間前まで寝込んでいた。数日前にようやく歩けるようになったぐらいだ。今でも歩き方がおぼつかない。 「娘さんと一緒に住みたいって事だな」  大樹は栄一郎の願いを知っている。娘に会いたい。そして、一緒に住み、娘の手料理を食べたい。 「それに、娘の手料理が食べたいな」  娘はすでに結婚して、子供を設けたという。そしてその子供は順調に成長し、就職して、独り立ちしたという。今は夫と2人で暮らしてているという。 「そっか。最後の願いが叶うといいね」 「うん」  2人は大手町駅に続く地下道を歩いていた。今日も地下道は多くの人が行き交っている。ここも様変わりした。東京がこんなに変わるなんて。信じられない。  2人は東京メトロに乗った。栄一郎が捕まえる前に乗った時は営団地下鉄だったのに、2004年に東京メトロになってしまった。そして、ここの車両も様変わりした。車内表示機があり、2か国語の車内放送が入る。  2人は娘が住んでいるという家の最寄り駅に着いた。高い建物がそんなにない、下町のような所だ。ここに美幸が住んでいるんだとわかると、緊張する。美幸は僕と会って、どんな反応をするんだろうか? 泥棒をしてしまった僕に、会いたいと思うんだろうか? 断られないだろうか? 期待と不安が入り混じっている。  2人は娘のの前にやって来た。ごく平凡の家だ。自分が泥棒になった時は家族をめちゃくちゃにしてしまった。特に娘は心配していた。どんな生活をしているか? どんな人と結婚したんだろうか?  栄一郎はインターホンを鳴らした。足音が聞こえる。美幸だろうか?栄一郎はわくわくした。もうすぐ美幸に会える。  ドアが開いた。そこには妻にそっくりの顔がある。美幸だ。美幸は専業主婦のようで、エプロンを付けている。 「お父さん・・・」  美幸は驚いた。まさか、栄一郎がいるとは。忘れて生きていたのに、まだ生きていたとは。 「ずっと探してたんだよ」  だが、美幸は表情を変えて、冷たい目で栄一郎を見た。泥棒をして、一家を破滅に追いやった栄一郎が許せないようだ。 「帰ってよ! あなたが私の人生をめちゃくちゃにしたのよ」 「申し訳ないと思ってる」  美幸は帰ろうとする。もう栄一郎に会いたくない。栄一郎がいたら、家の評判が悪くなるに違いない。一緒に住みたくない。 「もういいの! 帰って!」  美幸は勢いよくドアを閉めた。慌てて栄一郎はドアを開けようとする。だが、鍵がかかっている。素早く中の鍵を閉めたようだ。  結局、美幸と和解する事ができなかった。一緒に住みたいのに。手料理が食べたいのに。やはり許してくれないのかな?  泥棒をすると、みんなから信頼してもらえなくなる。自分はなんてひどい事をしてしまったんだろう。家族に会えないまま、人生を終えてしまうんだろうか? 「ダメだったか」  大樹は下を向いた。再会して、抱き合うのを思い浮かべていたのに、まさかこうなるとは。大樹も絶望していた。 「納得させるの、難しいよな」  栄一郎はため息をついた。逮捕される前、あの時のように暮らしたいのに。 「ああ。いつになったら、許してくれるんだろう。娘の手料理が食べたいのに。一緒に食事がしたいのに」 「その気持ち、わかるよ。なかなかうまくいかないけど、泥棒の事を謝りたいと思ってる栄一郎さん、かっこいいね」  大樹は栄一郎は肩を叩いた。栄一郎は少し元気が出た。また断られてもいい。いつかわかってくれるだろう。 「ありがとう」  栄一郎は決意した。どんなに断られようと、必ず住んでみせる。絶対に納得してくれるだろう。謝罪を聞いてくれるだろう。  その夜、美幸は夢を見た。少女時代の自分のようだ。栄一郎に抱かれている。最初、美幸は戸惑った。だが、抱かれているうちに、栄一郎に対する抵抗がなくなっていく。どうしてだろう。 「お父さん?」  美幸は戸惑った。泥棒だった栄一郎に抱かれていいんだろうか? だが、逃げられない。どうしてだろう。 「今までごめんな。一緒に住もう」  栄一郎は今までの事を反省しているようだ。一緒に住みたいと思っているようだ。今日、訪ねてきた時も、そんな気持ちだったんだろうか? なのに、どうして自分は断ったんだろうか? なんて自分は親不孝なんだろうか? 「えっ・・・」 「もう過去の事はいいんだ。君が元気にしていれば、それでいいんだ」  美幸は目を覚ました。いつもと同じ朝だ。美幸は栄一郎の事を思い浮かべた。反省しているのなら、会いたいな。  突然、インターホンが鳴った。朝早くから、一体何だろう。美幸は起き上がり、玄関に向かった。夫はまだ寝ている。朝食を作るまでは少し時間がある。  美幸は玄関のドアを開けた。そこには、大樹がいる。だが、栄一郎はいない。どうしてだろう。 「お父さんが、死にました」  栄一郎は今朝、がんで亡くなった。最後まで美幸を思って死んだという。大樹しか看取れないまま、寂しい最期だったという。 「えっ、そんな・・・」 「お父さん、末期がんを患ってまして、最後に娘に謝りたい、そして、娘と一緒に住んで、手料理が食べたいと願ってましたよ」  まさか、栄一郎が末期がんを患ってたとは。全く知らなかった。会いたいと思っていたのに、一緒に住もうと思っていたのに、叶わなかった。美幸はその場に泣き崩れた。 「そ、そうなんですか・・・」  そこに、夫がやって来た。美幸の涙で起きたようだ。夫は眠たい目をこすっている。まだ眠いようだ。 「どうしたんだい?」 「お父さんが末期がんで亡くなったって。私と住みたい、手料理が食べたいと願ってたそうで」  夫はその場で呆然となった。泥棒だった父が会いたがっていたとは。美幸はどうしてあの時、追い出してしまったんだろう。 「そうなんだ。いい人になってるじゃないか。きっと、泥棒の事を償いたいと思ってるんだろうな」  朝食も食べずに、美幸は大樹の家に向かった。偶然にも大樹の家はこの近くにある。  美幸は大樹の家にやって来た。大樹の家は少し古い家だ。大樹は妻を亡くし、子供たちは独り立ちしていて、1人暮らしだ。  美幸は大樹の寝室にやって来た。そこには眠っている栄一郎がいる。美幸は栄一郎の顔を触った。冷たい。死んでいる。昨日、やっと会えたのに。私はなんてひどい事をしたんだろう。 「あんなことをした父だったけど、最後まで娘さんを心配してましたよ」 「そ、そうですか・・・」  世界でたった1人の父なのに。自分はなんて事をしたんだろう。心配していたのに。どうして聞き耳を持たなかったんだろう。 「休まず学校に行ってるか、就職したか、子供が生まれたか」  こんなに父が心配していたとは。結婚して、子供が生まれて、独り立ちした今、天国からどんな気持ちで見ているんだろう。 「こんなにも私の事を心配してたなんて。私、どうして無視してたんだろう」  美幸は泣き崩れた。一緒に暮らしたかったのに、ごめんね。謝る事ができないまま、無言の再会となってしまった。親不孝な私を許してくれ。どうか、泥棒で逮捕されて、家を崩壊させてしまった苦しみを忘れて、安らかに眠ってくれ。
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