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バッド君が好きだ。その気持ちは初めて自覚した時よりも日に日に大きくなっている気がする。
しかしその気持ちとは裏腹にみる香の心情は複雑だ。誰かに打ち明ける勇気は今のみる香にはない。
天使や契約など、色々と内情が複雑ゆえに話せないデリケートな問題が多すぎる。
檸檬や颯良々は勿論、星蘭子や莉唯などには絶対に相談出来ないことだった。彼の話をするには天使の話が必要となるからだ。
桃田には唯一相談できそうだったが、そもそも人間と天使が結ばれる事例は限りなく少ない。そう考えると彼への気持ちを誰かに共有するのは憚られた。
バッド君とどうにかなりたいわけではない。ただ、彼と過ごすことが幸せで、自分にとっての安らぎなのだと思う。
気持ちが伝わらなくとも、彼と両思いになれなくともこんな温かい日々が続いてくれるのならそれでいい。それが今の願いだった。
ただ――――恐ろしい考えが浮かぶ。
「みる香ちゃん」
名前を呼ばれ振り返るとバッド君がいた。
下駄箱でボーッとしながら靴を履き替えていたみる香は彼に名前を呼ばれ、そこに嬉しさを感じる。なんて単純な人間なのだろう。我ながら、ウブすぎると思う。
そのままバッド君と二人で下校することになった。こんな風に一緒に帰ることは最近よくあることだった。
バッド君は自由な天使だ。もしみる香と帰りたくなかったら一緒に帰ることも、肩を並べて歩くこともないだろう。
契約当初の時は、用が済んだら自然と離れて歩く事も少なくなかった。
だから、今会話がなくてもこうして一緒に歩き、みる香の歩幅に合わせて歩いてくれている事は、彼が本心からみる香との下校を望んでくれているのだと思ってもいいのだと思う。これは思い込みではないはずだ。
バッド君は会話をしていてもしていなくても向けてくる視線が優しかった。
これは契約当初の時には感じなかった事だった。
当時は良くも悪くもない普通の視線が向けられ、嫌われていないのはわかったが、好かれていないのもよく感じていた。
けれど今はきっと本当に友達として、みる香を認識してくれているのだろう。バッド君は嘘はつくが、視線だけは正直だと、そう感じる。
ずっと避けていた考えがある。それは知ってしまえば、絶望的で、その先を考えると怖い。なんとなく頭の奥深くでは分かっていたのかもしれない。それを――――――言われないからと勝手に否定と捉えて、安心していた。
「明日の勉強はどうする?」
歩きながらバッド君はいつもの日課になりつつある勉強会の事を聞いてくる。みる香はそんなことにも喜びを感じながら声を返した。
「お願いしたいな」
「うん、じゃあ放課後残ろうか」
そう言って柔らかく爽やかに笑いかけてくる。
「ありがとう! 補習今回は免れそうな気がする!」
「あはは、それは良かった。頼もしいねえ」
彼の事が好きだ。一緒にいる時間はとてつもなく幸せで――楽しい。だが、同時に辛かった。辛い。考えると辛いのだ。
何の変哲もない会話を続けているといつの間にかみる香は自宅に辿り着いた。
バッド君は時々、家の目の前まで送り届けてくれることがある。そんなところも本当に嬉しくて――――辛かった。
(今の約束も……)
みる香に背を向けたバッド君の背中に向かって手を振りながらみる香は思考する。
(こんなに嬉しい気持ちも、全部……)
彼の大きな背中が見えなくなるまでみる香は門の前に立ち、見送る。
(消えちゃうんだろうなあ)
確信していた。バッド君はみる香の――――――記憶を消すのだと。
第二十八話『言われない話』終
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