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「で? 今のは?」
可愛らしい背中を見せ立ち去っていったみる香の残像を眺めていると不意に桃田の声が鼓膜に響く。
「今のって?」
半藤は爽やかな笑みを崩さず桃田に聞き返す。すると彼女は大きくため息を吐いて再び言葉を発してきた。
「あんたが告白するのはいいけどね、はっきりしなさいよ。意味深なことだけ言って、肝心な事は言わないなんて一番タチの悪いことよ?」
「ええ〜、手厳しいなあ」
半藤はそう言いながら後頭部を掻く。桃田の言っていることは分からなくもないが、こちらにも事情というものがある。
「みる香ちゃんに気持ちを伝えるつもりなの?」
その言葉に、激しく肯定したい気持ちは本当だ。できることなら今すぐにでも彼女に気持ちを伝えたい。だがそれは、その選択肢は今の半藤にはなかった。
「……伝えたいよ。だけど言わない」
「どうしてよ?」
桃田は理解ができないとでも言うかのようにそんな言葉で問いかけてくる。半藤は未だにみる香が先程までいた廊下を見つめながら言葉を返した。
「みる香ちゃんが俺との友情を望んでいるからだよ。もし俺が告白して、彼女の負担になったら俺は立ち直れない」
そう答えると桃田は「はあ」とため息を吐いて、半藤に小言を追加した。
「それならそれで、思わせぶりな態度はやめなさいよね」
「それは……難しいなあ」
「はあ?」
桃田は半藤のその回答に心底呆れたような目で見据えてきた。半藤は桃田に視線を送るとこんな言葉を口にする。
「そうしようとは思っているんだけど、自制が聞かないんだよねえ」
そして困ったように笑ってみせると桃田は何度目か分からない盛大なため息を吐いて「ほんと気持ち悪い男ね」と口にした。
半藤は自身の首筋を触りながら苦笑していると突然第三者の声が二人の会話に入ってくる。
「半藤、最近昇格の存在忘れてませン?」
伊里だ。桃田との会話を聞いていたのだろう。半藤は彼に視線を向けると伊里はそのまま言葉を続けてくる。
「人間にうつつを抜かすのもいいけド、その内今の感情は終わりますヨ。お前らしくもなイ」
伊里の意見は最もだ。天使である半藤達にとってはこれが正論であり、否定することなど例外だといえる。以前の半藤であれば間違いなくすぐにでも同意してみせただろう。だが今回ばかりは話が違っていた。
半藤はこちらに視線を向ける伊里を見返しながら口を開く。この言葉は半藤の嘘偽りのない本音だった。
「俺、昇格はもうどうでもいいかな」
静まり返った廊下に半藤の声だけが響き渡る。沈黙の中、己の異質な発言を後悔する気は一切起きなかった。
* * *
第三十三話『昇格』終
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