羨望

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男はこちらに気づくと、ホワイトボードの前から離れないまま、大きめの声で言ってきた。 「申し訳ありません。今会議中なんで、少しの間お待ちいただけますか?」 そして、来客の予定があるのにどうして知らせなかったんだ、という顔でちらりとまわりを見た。 どうなってるんだ? 「失礼ですが、昨晩お会いした……タシロさん? ですよね。どうしてここに?」 男は眉をひそめた。 「私は高橋です」男は硬い声で言った。「お会いしたことはないと思いますが」 一体なんなんだ? みんなして俺を担いでいるのか? 「私も高橋ですよ」 敏郎は苦笑した。 しかし、だれも笑わない。 ますます怪訝そうな顔になって、みな硬まった。 「おいおい、どうなってる、ドッキリなのか? そんなことより仕事しろ」敏郎はタチの悪い冗談を(とが)める口調になった。「ちょっとタシロさん、どういうことだか説明してください」 男が切羽詰まった目つきで、隣の部下に耳打ちすると、そいつは走っていって、電話の受話器をとった。 すぐに警備員が駆けこんできて──敏郎を捕まえた。 「え? え? ええっ⁉︎ なんだよ、ちょっと待てっ……」 警備員に引きずられて部屋を出るとき、自分のデスクにカバンが置いてあるのが見えた。 「あっ、俺のカバン! あいつが盗んだんだ! あいつは泥棒です。俺のカバンを盗んだ!」 敏郎はそう言いながら、警備室に連れていかれ、そこで事情を説明すると、警察官が来た。 警官は初めから罪人と接するような態度をとってきた。カバンごとサイフもスマホも盗まれた、と言っても、全然信じてもらえない。 それどころか、薬物の使用を疑われ、署に行って薬物検査をするという。警官ににらまれているうちに、本当に罪を仕立てあげら­れそうで、そら恐ろしくなってきた。 身の危険を感じた敏郎は、不本意ながら自分の訴えを撤回し、「酔払って血迷ったことを言ってしまった。全部デタラメだ。申し訳ない」と平謝りした。 警官はわずらわしそうに敏郎をパトカーのそばまで連れていくと、「今度から飲みすぎるなよ」と注意して解放した。
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