6人が本棚に入れています
本棚に追加
朝のまだひんやりとした空気の中、私は鉢植えに水を注ぐ。光の粒が、ゆっくりと私の心を温めようとする。手のひらを揺蕩うそれらのうちどれか一粒くらい、あの指輪の溶け残りだったりしないだろうか。
鉢植えのこの植物は、未だ一度も花を咲かせたことがない。「ピンクの可愛い花が咲くんだって」これをプレゼントしてくれる時、彼は確かにそう言っていたのに、それが嘘だったのかと思うくらいだ。毎日水もやって、時々話しかけたりだってしているのに、今年もまたこの子は蕾をつける気配もない。
「じゃあ、昼過ぎには戻るから」
眠ったままの鉢植えに声をかけて、私は一人家を出た。
等間隔に並んだ墓石の中から、迷いなく彼のものを見つけられるようになったのは、最近になってからのことだ。彼は今日も静かな空気の中、物も言わずにそこに佇んでいる。
彼の訃報を耳にしたのは、あれから一年と少しが経った頃だった。癌だったんだそうだ。
言葉の少ない彼だった。彼が肝心なことを言わなかったのは、優しさだったんだと思う。私にとっては、残酷な、優しさ。
私達は二人ともあまりに不器用だった。不器用で、それでも正しく愛したくて、お互いに遠慮して、伝わらないまま。
私の手の中には、色鮮やかな花束。
彼の墓石の前には、先月の枯れて萎れた花束。
彼と暮らしたリビングには、花を咲かせることのない鉢植え。
彼の足元で、花は何度も枯れる。
それでも何度でも、私は彼の元へと花束を届ける。
私の手元で、鉢植えは根を張り続ける。
それでもいつまで経っても、その鉢植えは花を咲かせることはない。
最初のコメントを投稿しよう!