逃避行

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「俺、丈夫の丈で(じょう)って言うのオネーさんは?」 「歩くって一文字で(あゆみ)」 「チーム一文字じゃん」 白い歯を見せてケラケラと笑う丈を見てると 必死になって飛び出してきた重みを忘れる 「幾つ?」 「ん?」 「丈は幾つなの?」 「俺は大学四回生の22歳、オネーさんは?」 「社会人三年目の24歳」 「じゃあ、誕生日がきたら三つ違いになる?」 「ご名答」 「なんか、バリバリのキャリアウーマンに会ったみたいなんだけど」 「んん・・・どうだろ」 「良いねぇ、このクソ暑いのに 長袖のスーツを着てるとこがカッコイ〜」 「ありがと」 「じゃあ、キャリアウーマンの歩に焼きそば焼いてくる」 「うん。待ってる」 小上がりに腰掛けていた丈が立ち上がるだけで 店にいる女性客が色めき立つ その視線は店の入り口にある鉄板に注がれていて 店の外にはギャラリーまで集まってきた 銀色のコテを両手に持って熱い鉄板の前に立つ姿は格好いい 海に向かって立っている丈は時折振り返ってはキラキラした視線を向けてくる そのたび笑顔を返しているうちに なんだか重かった気分が暑さも合わせて汗に流れた気がした 逃げてばかりもいられないけれど 今日くらいは頭の中を全部空っぽにして遊びたい 「お待たせ〜」 「美味しそう」 「美味しそうじゃなくて、美味しいの」 「はいはい、じゃあいただきま〜す」 キャベツと豚肉に紅生姜が添えられた丈特製の焼きそばは300円 ひと口食べると鰹節と青海苔の香りがソースとともに広がった 「美味しい」 「だろー」 職務放棄の丈も向かい側に座って食べ始めたから 軽快なお喋りに釣られるように一気に平らげてしまった ・・・楽しい 毎日が苦しかったから 初めて来た海で初対面の丈に優しくされただけで 忘れていた笑顔を思い出せた気がした 無防備に笑っていた私は ローカルニュースが丈のコテさばきを映していたことも その隅で場違いなスーツ姿を晒す私のことも なにも気づいていなかった
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