逃避行

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陽が傾くまで続いた丈とのお喋りは突然終わりを告げた 「小野田」 場違いなスーツ姿で現れた常務を見て瞬きを忘れる それを見ていた丈は連れだと思ったのか サッと立ち上がると“どうぞ”と常務を迎えた 「・・・遠いな」 常務はそう言って店の中をグルリと見回した後、違和感しかない革靴を脱いで向かい側に腰を下ろした 「楽しかったか?」 その酷く綺麗な笑顔を初めて怖いと思った 「ヒールで歩いてきたのか?」 海の家にスーツ姿の男女がいるというだけで周りの興味を集めていることだけは分かる 声までは聞こえなくてもチラチラと感じる視線は私と常務に集中していて居心地が悪い 「小野田」 「・・・は、い」 「砂浜を歩いてきたのかと聞いてる」 「・・・、あ、の」 丈に抱かれて此処まで連れて来てもらったと言えば良いだけなのに 常務の目が怒りを灯して見えるから 何も言えそうにない それなのに愚かな私は一瞬、視線を丈に移していたようで 「そうか、そういうことか」 私から視線を外した常務は店前で女の子達に囲まれている丈を捉えていた 「・・・っ」 「帰るぞ」 「・・・はい」 拒否権なんて、初めから無かった 「・・・っ」 当たり前のように姫抱っこで私を抱き上げる常務を周りのお客さんは囃立てる それをただやり過ごすしか手立てがなくて 「また来いよ〜」なんて軽口の丈にサヨナラも言えなかった 砂浜を過ぎれば下ろして貰えると思っていた私は 丈と会った階段を過ぎても常務の足が止まらないことに焦っていた 「・・・あの」 「ん?」 「もう、歩けます」 返事がないまま常務の足が止まったのは海水浴客専用の駐車場 燦々と降り注ぐ太陽を浴びて黒光りするセダンは 僅かな時間なのに蒸せ返るような熱を発していた
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