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俺ぁ、世間様に騒がれてる、世の中をまるきり燃やして平らげてやろうなんていう馬鹿な連中とは違うのさ。
聞いててわかるだろう、あんなのはただの自己陶酔だ。
子供が火を持って遊んでたら危ねえのと一緒だよ。火ってのを何か知らないんだな、連中ときたらおつむが足りないんだ。
坊ちゃん、本当の火を見たことあるかイ。
ないだろうなあ。とんと知らねえままで生きてきた、ってな目をしてるよ。
そいじゃ俺が教えてやろうなあ。人間様は火があったからこんなに生きてるんだ、知らないんじゃお先真っ暗だぜ。
いいかい坊ちゃん、そのお目目よォく凝らしてな、耳澄ましてお聞き。
坊ちゃん、火ってのはな、なんもないところから、ぱッとばかり立つんだ。火のないところに煙はたたぬなんて言う輩がいるだろう、しかしな、火ってのは大概何もないのに出てくる。足元見てみろ、今に火がつくかもしれねえぜ。
火ってのは、ぱッとばかりついて、ぽっぽっ、と広がるのさ。
まるで見えねえ獣が走り回ってるみたいだ。あっという間だぜ。
広がった火なんてのは、人間様にはまるで手に負えねえ。あっちへひらり、こっちへひらり。逃げ回るし、おまけに触れば熱いときてる。
どこから立つのかも知らないのに広がったらお終いなんて、随分とけったいな話だと思うだろう。俺もそうだったからわかるよ。
じゃあなんで、俺が火を放つのかって?
聞きたいんだな。顔に書いてる。聞きたいんだな。そうかイ、じゃ、教えてやるよ。
火ってのはな、平和なんだよ。
そんな目で見るんじゃねえよ、そら、教えてやる。
おまえ、火は好きかイ。嫌いか。そうだなあ。
火はなんでも食っちまうもんなあ。それもあっという間だ。あれがあるから、俺は仏さんを信じてたぜ。もっとも、坊ちゃんくらいの頃の話だがね。
服も家も人間様も、みぃんな火の前じゃ無力だ。何もできない。
だから俺は火を放つのさ。
わからないかい。そいじゃ、も一つ話をしてやろう。
まず北の方へ行くんだ。持ち物はそうだな、薪か藁でもあれば十分さ。
そいで、坊ちゃん、その目にお百姓さんのお家が見えたろう。想像するんだよ、やってみな。見えたな。
よし、じゃ、火を放て。
そんなことしたくないって言ったって、それじゃ話が進まねえ。ほら、火を放て。なに、家の中には誰もいないさ。
さ、何が見える。
火か。いい答えだ。
お前さん、火がつくのをちゃんと見てたかイ。
坊ちゃんが握ってる藁、その中に、いつのまにか小さい火の欠片が生まれてるだろう。
それをだいじにだいじにしてやるんだ、そしたらほら、大きくなったろう。
そいつを投げろ。えいや、だ。そら、掛け声。
火が広がっていくなあ。家も納屋もみんなだ。
次だ、次はちょいと西へ向かおう。持ち物は同じでいい。
家が見えたな。天下の台所の、お武家様のお屋敷だ。
さ、同じ要領さ、火を放て。
大丈夫だ、誰も見ていないさ。それに、お上も仕事で京へ行ってる。中身はがらんどうだよ。
よしよし、それでいい。上手だぞ、坊ちゃん。
そろそろわかったろう。わからない?
坊ちゃんはどこまで見た?
家が崩れるところまでか?
もうちっと先だな。お百姓さんやお武家様御一行が帰ってきたところまでみて御覧。
何が見えた。
悲しむ人。
そうだなあ、正解だ。
それからその先、何が見える。
……憎む声。
そうだなあ、正解だぜ。
つまり、こういうことさ。
俺が火を放つだろう、で、火は何もかも食べ尽くす。人もなにも明ぁく染め上げて、あとには何も残らねえ。
悲しまない人間はいないぜ。だって、俺が今までそうしてきたなかで、悲しまない奴は一人としていなかったからな。
そいで、家の主は火を憎むだろう。
そしたら、それからその家の主は、絶対に子供に火なんか持たせたりしねえよな。
そいで、家の主は俺を恨むだろう。
恨んだ者同士が結託して、さらに俺を憎むんだ。よくもよくもと深い恨みが、紅ぁく紅ぁく人を染める。
そしたらそいつらは、俺を恨むことに手いっぱいで、他の奴らを恨んでる暇はねえよな。
ほら、平和だ。
俺がぱッとつけて、そいで、それから、ぽっぽっと広がる。人を染める。火が染める。
わかったかイ、これが火だ。平和っていいものだろう。
俺は平和に貢献してるって訳さ。
そうか、坊ちゃんは平和が好きか。俺もだぜ。
さて、今度は坊ちゃんが天下を平和にする番だ。
いずれそうさ。今はまだ。
……おや、何を持ってる。
いいものだが、坊ちゃんにはまだ早いんじゃないかイ。
ははあ、どうやら、坊っちゃんも火に染まったようだなぁ。
ほら、よこしな。なに、お前さんが気負う必要はないさ。
さ、よォく見てろよ。
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