グッドアイデア

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 北村という男は酒に飲まれやすかった。毎日飲み歩いている訳ではない。たまに酒を飲むとそうなるのだ。三十を過ぎてもそれは治らずそのせいで今まで様々な失態を犯してきた。スマホの写真フォルダに知らない人と撮った写真が何十枚と入っていたり、電柱相手に朝まで格闘したり、散歩中の犬を撫で回し警察を呼ばれたり、店長に何杯も酒を付き合わせ飲み屋を出禁になったり、起きたら草むらで寝ていたり、とにかく後悔することばかりだった。だから北村は外で飲むことを止めた。家で飲めば困ったことには絶対にならないと考えたからだ。今日は北村にとって二度目の家での飲酒だ。前回大きな過ちは犯していない。いつ隣や上下の部屋から苦情を言われるかとヒヤヒヤしていたがそんなものは一つもなかった。奇妙なのは次の日起きた時、ほぼ全裸で手足をタオルで縛られていたことだった。けれど怪我はなく部屋も綺麗で何も起こった様子はなかった。多分、何かしでかさないようにと自分で縛ったのだろう。そして一週間後の今日、満を持してまた家で飲もうとしている。念の為玄関の鍵を確認しチェーンまで確実に掛け、リビングのテーブルの上に酒とつまみを用意した。酒は一種類のみ。北村はハイボールがただただ好きで、好きなものを延々と飲んでいたいタチだ。だから今日の為に冷蔵庫にはハイボールのロング缶が詰め込まれている。つまみはというとその時の気分で何でも良く、チーズだったりサラミだったりナッツだったりスナック菓子だったり。今日の気分はスナック菓子だった。それも辛いやつだ。準備が整うと北村は動画配信サービスへ接続した。見るのはツッコミどころの多い映画だ。言いたいことを言いながら酒を煽り汚らしくつまみを食う。問題はない。ここは映画館ではない。誰に迷惑を掛けることもなく、後始末は全部自分でする。全ては自分に返ってくるのだ。次にするのは服を脱ぎ捨て全裸になることだ。そしてワイヤレスイヤホンを耳に装着しパソコンでノリの良いEDMをかけて踊り狂う。部屋には足音を吸収するマットを敷いてある。これは家で酒を飲もうと決めた時に下の階の住人に文句を言われないように買った物だ。踊り始めれば一人無音クラブ状態。熱々のお好み焼きに乗せられた鰹節のようだ。そうしながら酒を飲み、つまみを食らい、踊る。踊る内につまみは制御不能な動きをする北村の足によって床に散らばり、酒ばかりが肝臓に染み渡っていく。北村には床に転がっている缶が何本か数えられなかった。少し休憩しようとソファーに寝転がると腰に固いものが当たる。手で掴むとスマホだった。ロックを解除するのに何回も失敗する。視線も指もふらふらとどこかへ徘徊してしまうからだ。酒を飲むと誰かに電話したくなる人間が世の中にはいるが北村もそうだった。通話履歴を見ると先週の土曜日、そしておおよそ同じ時間である夜中の三時に掛けた覚えのない名前があった。会社の同期というだけの間柄である南田だった。もつれる指が勝手に動き、耳元で呼び出し音が聞こえる。こうやって訳もわからず先週も掛けたのかと僅かに残っている正常な意識が答えを出した。 「もしもし?」  その後、向こうで誰が喋ったのか、自分が何を言ったのか北村は覚えていない。  南田が北村の自宅に着くと電話で話した通り、玄関の鍵は開いていた。深夜三時に呼び出され、何故南田が来たのかというと先週の土曜日も同じような時間に北村と通話していた履歴があったのだ。けれど記憶には全くなく、出掛けた形跡があり、翌日は二日酔いのような症状に苦しめられた。北村と何かあったのかもしれないと思うのが普通だ。南田はそれが知りたかった。  部屋の中では何故か全裸の北村がテレビの前でゲームのコントローラーを引き出しから出そうとふらふらと動いている。その姿に驚いたものの酔っておぼつかない様子を見ていられなくなった南田はコントローラーを一つ取り出し北村に渡した。 「お前もやれよ」 「いや、それより聞きたいことがあるんだけどさ」 「良いから」  北村が引き出しからもう一つのコントローラーを乱暴に取り出し南田に押し付けた。南田はそれを受け取るしかなかった。  二人がソファーに座ると北村は南田にハイボールの缶を渡した。南田もまたハイボールが好きであった。理由はそれだけで十分。南田は缶を開け、北村もまた缶を開けた。乾杯はしなかった。北村は一口、二口と飲んでからシンプルな一対一の格闘ゲームを起動させた。北村は緑色の体をした怪物のキャラクターを選び、南田は至って普通の格闘家のキャラクターを選んだ。戦う度に北村はハイボールの缶を開ける。目は虚ろだ。そして自分と同じペースで南田にも缶を渡した。何戦かして南田が全勝したがわかっていないのか満足したように北村はスキップのような足取りでどこかへ消えた。暫くしてシャワーの音が聞こえ南田はぼんやりとハイボールを飲みながら北村が戻って来るのを待った。しかしながらその平穏は長くは続かなかった。バタッという大きな音に驚き南田は風呂場へ走った。視線を落とすと倒れている北村の姿がある。 「髪が洗いたいのに出来ねえ」  床に這いつくばる北村は何らかの虫のようだった。  南田はため息を吐きつつも北村を床に座らせると頭にシャンプーと思わしき液体をつけガシガシと洗いシャワーを掛けて流した。そして立ち上がらせバスタオルを適当に体に巻き付けると先に元いた場所へ戻った。南田はもう既に疲れていた。だからまたハイボールを飲んだ。ソファーに座っていると沈んでいってしまいそうだった。少しして戻って来た北村は南田の横にちょこんと座るとしくしくと泣き始めた。どうして泣いているのか南田は聞きたくなかった。酔っぱらいの泣きごとなど意味不明で支離滅裂で聞いたことを後悔するものでしかないからだ。しかし五分経っても十分経っても北村は泣き止まない。南田は苦々しく顔を歪めた。 「どうしたんだ?」  泣き付かれるのは嫌だと南田は体を強張らせる。 「さっき髪の毛ボディソープで洗っただろ」  嗚咽混じりに北村は言った。  何なんだ、どうしろってんだ、まずその言葉が南田の頭に浮かぶ。そしてそれを呑み込んだ。今の北村を怒ったところで何の意味もないからだ。 「わかった、わかった」  そう言って南田は北村の手を取り風呂場へ連れて行った。今度はちゃんと確認してシャンプーで北村の頭を洗いコンディショナーまでしてやった。けれど服までは着せてやりたくはなくまたタオルを体に巻き付けた。北村はへらへらと満足そうに笑っている。  ドタドタと部屋に戻りソファーに寝転びくつろぎ始めた北村を見て南田は帰ってしまおうと静かに玄関へつま先を向けた。もう先週のことなどどうでも良くなっていた。 「なあ、俺大河ドラマにハマってるからさ、これ見よう」  北村がテレビのリモコンを操作し大河ドラマの壮大な音楽が流れ始めた。  南田は振り返りちらりと北村を見る。北村は南田に短く手招きしたかと思えばまたハイボールの缶を開け哺乳瓶からミルクを飲む赤子のように飲み始めた。一話だけ見て帰ろう。南田はそう自分に言い聞かせてソファーの側の床に座った。北村が寝転んでいるせいでソファーに座ることも出来ない南田は苛立ちを紛らわせる為、ハイボールを喉に流し込んだ。  始まった大河ドラマは二十ニ話だった。この話が好きだから見せているのかと黙って見ていた南田だったが北村は一言も発さずに二十ニ話は終わった。そして次に北村が一つ飛ばして二十四話を再生した時だ。 「なんで?」  南田はそう言わざるを得なかった。 「俺さ、辞世の句ってやつに憧れてるから聞いてくれる?」  真剣な目をしてソファーに座り直した北村が唐突に言う。 「なんで?」  大河ドラマにそんなシーンはなかった。何故今なのか。相手が酔っぱらいであっても南田はつい聞いてしまった。 「死ぬ時は死ぬ」  北村はそれだけ言うとばたりとソファーに倒れテレビに目を向けた。 「え?」  辞世の句がどういうものなのか詳しく知らなかった南田は困惑しスマホで調べ始めた。けれど間違っているとも間違っていないとも結局は言うことは出来なかった。調べる間に南田はハイボールの缶を二本空にしてしまった。  南田が悩んでいた間に二十四話は終わっていた。次は一体何話を見る気なのかと南田が眉を顰めていると北村の腹が鳴った。南田は立ち上がりキッチンへ向かう。実のところ南田も腹が減っていたのだ。気付けばいつの間にか朝の六時になっていた。冷蔵庫には卵とハム。冷蔵庫の横にある小さな棚には温めるご飯があった。南田はすぐにチャーハン作りに取り掛かる。朦朧とする頭には他に選択肢が浮かばなかったのだ。ご飯を二つレンジで温め、その間に卵三つを割ってボールで混ぜ、ハムを四枚細く切りボールの中へ入れる。次にフライパンを温め油を引く。温まったご飯を溶き卵の中でハムが泳ぐボールに入れ塩と胡椒を振って混ぜ合わせそれをフライパンにぶち込んだ。後は炒めて炒めて炒めて、納得のいくパラパラさになるまで炒めれば完成だ。出来上がった二人分のチャーハンを皿に盛ってスプーンと共に北村の元へ持って行く。皿を渡すと北村は何も言わずチャーハンを貪り食った。味見もしていないがうまくいったのだろうかと南田は立ったままその様子を見守っていた。 「うーん」  全て食べ終わり北村はそれだけ言うと皿をテーブルに置いた。  カチンときて床に座った南田がチャーハンを掻き込む。 「うーん」  北村の反応に納得のいく味だった。  それから北村は大河ドラマのニ十六話を空虚な目で見つめながらスパゲッティはトマトソースしか認めないだとか十億欲しいだとか誰も知らない場所で生活したいだとかダラダラと取り留めのない話をしていたかと思うといきなりぱたりと寝てしまった。北村の死んだように安らかな寝顔に目をやった南田はこんな酒癖の悪い奴とはもう二度と関わらないと心に決めた。しかしモヤモヤしたものが南田の頭の中を漂っている。初めて抱いた感情である筈なのにそうではないような気持ち悪さがあった。けれどもうどうでも良いだろうとそれを振り払い帰ろうと立ち上がった。部屋の中はかなり散らかっている。これで最後なのだからと南田は部屋を片付け、もう一度北村を見た。もしすぐに北村が起きたら何をしでかすかわからない。そう思った南田は北村の手足をタオルで縛り、とぼとぼと家路についた。自宅のソファーに腰を下ろした南田は気絶するように倒れ眠りに落ちた。  昼過ぎ、目を覚ました北村は無事に部屋にいることにほっとしていた。またしても手足はタオルで縛られている。やっぱり酔っていても後先のことを考えて行動出来る人間なんだと北村は自分を褒めてやりたかった。しかし褒める暇はない。二日酔いで頭がズキズキ痛む上に気持ちも悪かった。北村はタオルを解くこともせず毛虫のように蠢きながらトイレへ移動した。吐いた後で北村はぐったりと部屋の中を見渡す。変わった様子はない。一度ではまだ信じ切れなかったがこれによって自分は家で飲酒すれば何も起こさないのだと北村は確信した。なんて良いアイデアを思い付いたんだと北村はだらしなくにやりと笑った。
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