あの日の歌

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あの日の歌

 今でも、あの日聴いたあの曲が、どこかで流れている気がして、つい振り返ってしまう。  あなたが私にくれたカセットテープ。  高校の中庭。銀杏の葉がひらひら舞い落ちた。 「希和ちゃん。このアルバムの最後の曲がね、歌詞がすごく良くてね。一緒にこの曲について話せたらいいな、って思って、ダビングしてきた。良かったら聴いて」  控えめで遠慮がちな里子ちゃんにしては、珍しい提案だった。  里子ちゃんは、高校生になって初めてできた、親友だった。  中学卒業までは、私には友達と呼べるような人はおらず、小学校入学からずっと、少しいじめられている立場だったように思う。  私はその日、家に帰ると、さっそくテープレコーダーで、里子ちゃんがくれた曲を聴いた。  胸がつぶれるように、切なく、苦しく、好きな人を想っている歌。きみなしでは生きてはいけないのだと、叫ぶでもなく歌う。好きな人に届いているのかもわからない。もしかしたら、好きな人は目の前にいるのかもしれない。  当時、里子ちゃんも私も、叶わない片想いをしていた。  私はすぐに里子ちゃんに電話をし、歌の感想を伝えた。  そして二人で盛り上がり、 「私達の気持ちを代弁してくれているみたいだよね」 だの 「いつか好きな人に、私だけを好きになってもらいたいね」 などと話した。  そんなふうに、どこにでもいる、地味な女子高生だった。  私は里子ちゃんをとても大切に思っていた。きっと私の人生で『親友』と呼べる人は彼女だけになるだろう、という予感があった。  高校卒業後、里子ちゃんは上京し、私は地元の大学に進学した。  まだ携帯電話もなく、私達は固定電話や手紙でやりとりをしていた。  私は里子ちゃんから手紙をもらうのが大好きだった。  字がちょっと下手で、言葉を大切に扱っていて、気持ちを的確に伝えようとしている、温かみのある里子ちゃんの手紙。里子ちゃんの人柄がよく表れている手紙。    夏休みや春休みには里子ちゃんのアパートに泊まったり、逆に私のアパートに里子ちゃんが泊まりに来たりした。  朝方まで話し続ける、その時間が、なによりも幸せだと思った。  しかし私達は大人になった。    女性の人生は男性のそれより複雑で、繊細で、面倒だ。  結婚、出産を、する、しない。するなら、いつ。どこで暮らす。仕事はどうなる。  タイミングがずれるだけで。  選んだ人生が違うだけで。  正社員かパートか、というだけで。  価値観が変わり、生き方が変わり、心は離れてゆく。  私が結婚した年。  里子ちゃんはとても好きな男性とおつきあいをしていた。  しかしその男性は仕事をすぐやめてしまう人だった。そしてなかなか次の仕事に就かなかった。  私はその彼に会ったことがなかったので、彼の良さがわからなかった。  でも里子ちゃんが彼のなにかに強く惹かれているらしい、ということはわかった。  その年の里子ちゃんの誕生日。  私はパンが好きな里子ちゃんに、かわいい食パン保存容器をプレゼントすることにした。  里子ちゃんとは距離が離れていたので、バースデーカードを入れて、宅配便で送った。    就職してからはだんだん手紙のやりとりもなくなり、距離ができていた。  だからだろうか。  プレゼントが彼女の元に届いても、電話一本、ハガキ一枚も来なかった。  もしかしたら、食パン保存容器だってわからなかったのかもしれない。  私はある夜、里子ちゃんに電話をした。 「里子ちゃん?私。希和」 「あー、久しぶり」 「少し前に誕生日プレゼント送ったんだけど」 「うん、届いてるよ」 「あれね、食パン入れなんだけど、わかった?里子ちゃん、パンが大好きだから」 「すぐわかったよ。パン、入れてるよ」  私は『ありがとう』のひと言を期待してしまった。  いや、なぜ『ありがとう』くらい言わないんだろう、とまで思ってしまった。  見返りを期待することは愚かなことだ。私はバカだった。  里子ちゃんは最後まで『ありがとう』と言わなかった。  それが故意だったのか、無意識だったのかはわからない。  こんなもの、邪魔だ、いらない、と思っていたかもしれない。  しかし私はそのとき 『良くない男の影響を受けて、里子ちゃんは変わってしまった』 と結論づけた。  思い込みの威力とは恐ろしい。  それきり、里子ちゃんと私の縁は自然に切れた。  同じ高校だった人から、一度、里子ちゃんの近況を聞いた。  自営業の男性と結婚し、里子ちゃんが一層そのお店を盛り上げ、大繁盛だという。  おとなしくて、静かだった里子ちゃんに、商売の才能があったとは。  四十代後半。  私達はおそらくもう会うことも、電話で話すこともないだろう。  別々の場所で、それぞれの人達と関わり、身近な人を大切にしながら、生きていく。  それでも。    高校で出会い、多感な時期を共に過ごしたあの八年ほどの時間は、私の宝物になっている。  きみなしでは生きてはいけないんだ、と切なく響く歌が、一瞬どこからか聴こえる気がして、振り返る。  彼女が教えてくれた、誰かを想う歌。  思い出すたびに、高校生の私と里子ちゃんの、キラキラした日々がよみがえる。
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