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それは彼女が所属していた実業団のマネージャーの名前だった。
何故彼がここに居るのだろう。
疑問に思ったが、それよりも彼に今の自分の姿を見せたくなかった。
絵美は顔を背けると、翼に対してこう言った。
「私は大丈夫よ」
そんな言葉とは裏腹に、翼は絵美の右に座ると肩を貸した。
翼の手を借り、絵美は再びベンチに腰掛ける事になった。
どうしてこんな事になっているのだろうと絵美は不思議に思った。
絵美はベンチに座り、翼は隣に座っていた。
二人とも何も喋らなかった。
静寂な時間だけが過ぎていった。
「コーチから聞きました。福井さん実業団を辞めたって本当ですか」
最初に口を開いたのは翼だった。
その問い掛けに絵美は何も答えず、ただ俯いていた。
沈黙は肯定を意味していた。
「どうして?」
翼は静かに問う。
それに対し絵美は小さな声で答える。
「走れないからよ」
そんな絵美の言葉を聞いて、翼は納得できないというように首を横に振った。
「聞きました脚を手術したって。でも、まだ諦めるのは早いと思います。手術後のリハビリをしっかり行えば、きっと以前の様に走れる筈ですよ。だから……」
そこまで言って、翼は言葉を詰まらせた。
絵美は涙を堪えながらも、涙が流れていたから。彼女は、左膝を患者衣を掴むと左足首を翼に見せた。
金属のフレームとネジが見えた。
義足だった。
「こんな脚で走れると思う?」
絵美が告げたのは残酷すぎる現実であった。
絵美の左脚の膝には悪性肉腫が出来ており、切除するしか手立てが無かったのだ。切らなければ生存は望めないという医師の判断により、左膝と共に除去されたのだ。
つまり彼女の左脚はもう無い。
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