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「最初はありがたかったの。私は男の人を知らなかったから。――だけど彼にすべてを委ねるのが愛なんだと私は思わない」
うるんだ瞳の奥でなにか強い感情が弾けた。
「身体を重ねるのって難しいね。色々なものが赤裸々になるから。綺麗なものも押し隠しておきたいものも全部、見えてきちゃう」
衣吹はなにか言おうとして口をつぐんだ。流行病が猛威をふるう間、二人にいったいなにが起きていたのか。以前だったら衣吹だって、花南がこれほど切羽詰まる前に異変に気づけただろうに。
疫病が心底恨めしかった。あの厄災の真の恐ろしさは、こうやって親しい人と人の間に見えない壁を作って分断したところにある。
「あああ私、自分はもっとうまくやれる人間だと思ってたんだけどなぁ」
そう言って花南はしゃくりあげながらぐすぐす泣き、おもむろにダイニングチェアから立ち上がった。ちどり足で寝室のドアをあけるや、ダブルベッドへ水泳の飛びこみみたいに倒れこむ。
「ごめん、衣吹ぃ」
寝台からくぐもった声が聞こえる。
「もっといろいろ話したかったんだけど、今夜はとても無理みたい……」
絶対明日、話すから。なんだかここのところ全然眠れなくて――。そのまま電源が切れた携帯みたいに無音になる。
「いいけど。あんたそのまま寝るつもり? 服脱ぎなさいよっ」
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