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――桜井さん、婚約解消したんだって。
そう噂好きの同期から吹きこまれなかったら、まちがいなく衣吹はまだ居残り残業していただろう。
五月初旬、銀座。金曜の夜。もう衣替えだからと薄地のワンピースを着てはみたものの、ベージュのカーディガンを羽織っただけだと夜風が染みる。大手町のオフィスビルを飛び出した時にはまだ仕事の熱を帯びていた身体が、確実に冷たくなっていく。
だけど重たいのはむしろ心かもしれない。銀行の窓口業務なんて、しんどくて神経すり減るのが当たり前だ。そう割り切っていても、午前中に来た運送会社の社長――あのセクハラ親父。いつも来るなり人の胸や尻ばかり見やがって。目つきがキモいったら。
ああいう手合いにとって、若い女は人間になりきれてすらいない。ただの陳列棚に並んだ、欲望を満足させる品物なのだ。なんであんなのが大手を振って世の中うろうろしていられるんだろう、むかつくったらない。
――なあ衣吹ちゃんはなにか知ってる? 風祭先輩、もう式場も予約して案内状まで刷ってたらしいのにさ。
それなのに、昼休みにわざわざ別部署からやってきた川上太一は、声にまで好奇の色を滲ませていた。
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