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「でもユーリィは、根本的には全然変わってなかったな」
夢見る少女の瞳で花南はコーヒーマグを両手で包む。
「彼は語ってくれたの。『僕には残念ながら大それた画家になれるような才能はない。自分の分はよくわかってる。だけどむしろそれでいいと思ってるんだ』って」
――だって僕が描きたいのは、ありふれたささやかな日常なんだから。
なにげない風景にこそ人の心は洗われるし、野に咲く花々の中にこそ究極の美が存在する。僕の祖母はそれが持論だったし、僕もそういう絵描きになりたい――。
「優しい性格も、細やかな目配りができるところも、昔のままで……」
今日まで誰にも言わずに封印していたのであろう花南の思い出話は、いったん話し出したらきらきら輝いてあふれ出し、もう止めようがない感じだった。
「……たぶんユーリィって東欧気質っていうか、どこか昔気質なところがあるんだと思う」
彼は生真面目なまでに礼儀正しくて、私を淑女として扱ってくれる男性だった。まるで映画タイタニックの時代にタイムスリップしたように――。
「淑女ねえ。また聞き慣れない言葉が出てきたなぁ」
衣吹がうなると、
「たとえばウィーンにいた間、彼はかならず二人の別れの刻限を九時って決めてたの」
今時珍しいでしょ、と花南は微笑む。ユーリィは結婚前の女性をそれ以上遅くまで引きとめるのは僕の主義じゃない、僕はだらしない男だと思われたくないと、頑として引かなかったらしい。
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