儀式当日

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狐花の贈呈が終わり、私はついに神殿へと足を踏み入れた。神殿には鬼神が祭られており、普段は誰も決して足を踏み入れない場所である。"鬼神"と言われるくらい気性の荒い性格をしていたため、霧襲山で失踪事件が起こると、みな鬼神に喰われたのだ、と噂した。立ち入り禁止の区域になっているはずだが、面白半分で肝試しにいく子供がよくいたらしい。 「巫様、どうぞお入りください。」 「巫様万歳。村の平和を守ってくださる巫様に万歳。」 ずっしりと重たい扉を開け、深呼吸をする。そして背後から聞こえる村人の気色悪い言葉の渦に巻き込まれぬよう、逃げるように神殿の中に入った。 神殿の中は空のように見えた。だが暗闇に目が慣れるとそこには薄汚れているが小綺麗な鏡、萎れた大きな狐花、溶けた蝋のこびりついた燭台が小さな台の上に置いてあった。そして奥には鬼神がいる。目を凝らしてもよくは見えないが、確かにそこにいた。 「鬼神様、そちらにいらっしゃいますね」 返事はなかった。ただ呼吸の音は蛇のように唸りをあげて聞こえてくるような気がする。鬼神の姿形がどんなものかはわからない。神は神聖なものなので、人様が汚れた手で勝手にその姿を描くことは罵倒に値するという言い伝えがあったからだ。何もかもが気持ち悪くて吐き気がする。萎れた花を花瓶から抜き、持っていた花を添えた。そして近くに置いてあった埃の匂いのする座布団を出して座る。しばらく沈黙が続いた。姿こそ見えないものの、視線の冷ややかさで体が少し強張る。蛇に睨まれた蛙、とはこのことか。 「.......お前、名はなんと言う。」 息を吸い込むような音が聞こえた、と思うと鬼神はそれまで固く閉ざしていた口元を緩め、言葉を発した。 「私は、白神和泉と申します。代々巫の役目を背負う白神の家の娘です。」 和泉は人間の声ではない、と思った。声は濁りというものが全くなく、清水のように涼やかで聞き心地が良い。鬼神はその名の通り気性が荒いと伝えられていたはずだが、むしろ真反対のように思えた。少女は痺れて感覚のない足と冷えて冷たくなった手を組み直した。 「和泉.....か。顔が見えぬな。灯りをつけろ。私の座っている四隅と、お前の座っている四隅に灯せ。近くに祭事用の燭台がある。」 「はい、今すぐお付けします。失礼しました。」 軽くお辞儀をし、すぐに準備をする。錆びた鉄の引き出しを開け、中の蝋燭を数本だす。燭台には彼岸花の模様が描かれてある。人を殺した花は生き生きと輝くようにそこにあり、皮肉にも今まで見たものの中で一際美しかった。蝋燭を並べ、火を灯し終わると辺りはほんのりと明るくなった。 「灯し終わりました。鬼神様。」 「ああ。これでやっとお前の顔が見えるようになったな。」 鬼神は少々俯きがちな顔をそっとあげ、こちらに目線を合わせる。鬼神の姿は名前とは少し印象が異なった。黒い着物を着ている、青白く血の気のない肌。そこに印象深く光る二本の黒い角。狐のような蛇のような鋭く赤い目に、整った眉。誰もが見惚れるほど美しい微笑を浮かべるその男は、どうやら本当に人間ではないらしい。私は不躾だと思いつつも、ついまじまじと眺めてしまった。
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