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私と彼の出会いは二〇三〇年、悠理学幼稚園の廊下だった。「家族の思い出」をテーマに園児たちが描いた絵が壁に飾られていた。
家族で行った銀山温泉の雪景色を描いた私の絵には銀色の星型のシールが貼られていた。銀色の意味は知っている。二番だ。
気がつくと私の隣でも少年が絵を眺めていた。
彼が見ていたのはニューヨークのタイムズスクエアに佇む少年と父親を魚眼レンズで覗いたような絵だった。著作者の名前は、くないりひと。
その絵には金色の星型のシールが貼られていた。
視線に気づいた彼が振り向き、目が合った。
それが私とくないりひとの出会いだった。
宮内吏人の名前はその先もよく目にすることになった。
主に校内テストの順位で。悠理学は幼稚園から大学院までエレベーター式の一貫校だ。しかし実際は高い学費と成績の両方を保てなければ容赦なく退学になった。定期テストの結果は必ず廊下に張り出された。下位の生徒のうち何人かは気がつくと姿を見なくなっていた。
その全ての先頭に必ず宮内吏人の名前があった。
私、上城亜希穂も常に上位五人以内に属していた。それでも一度も一位になったことはない。不動の一位、宮内吏人がいるからだ。
私は休み時間も惜しまず勉強にあてていたけど、彼が授業中以外で教科書やノートを開く姿は見たことがなかった。家で猛勉強しているのかもしれないけど、私だってしている。頭の作りが違うと気づいてからも納得はできなかった。私は彼をライバル視し、ますます勉強に打ち込んだ。いつしか不動の二位になった。
彼と会話するようになったのはそんな頃、私の校内順位二位が揺らがなくなった小学五年生のときだ。
ある夏期講習の小テスト終わり、ふいに彼が私の席にやってきた。
「上城、問8の答え何にした」
「宮内が誰かに答え合わせ? 午後は雪かも」
「茶化すなよ。頼むから教えてくれよ。ずっと引っかかっててさ」
「6分の5」
「だよなやっぱり」
ほっと安堵したように笑う宮内は思っていたよりも普通の男子小学生だった。私の解答をあてにしているのが正式にライバルとして認められたようで誇らしかった。
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