第二十四話 雪の火の粉

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第二十四話 雪の火の粉

撫川を花屋から連れ出した。 しかもこんな、今にも雪がチラつきそうな寒い日に。 雨はいつの間にか止んでいたが、外はもう真っ暗闇だった。 どこでも良いと言われたが、そうそう遊んだ覚えもない久我には思いつくような場所がない。 「ドライブでもするか、ヒーター効くしあったかいぞ」 「え?久我さん車で来てるの?…まさかパトカー…」 「ははっ!んなわけないだろ、俺の車だよ。嫌か?」 「嫌だなんて、んなわけないだろー!乗る!乗りたい!」 久我の言葉を真似た撫川は上機嫌で屈託なく笑う。 近所の駐車場で大人しく待っていた車に撫川を乗せた。それだけで撫川のテンションが数段上がる。 「カッコいいね!綺麗なブルー!なんて言う車?」 「言っても分かるかな…、スバルだよ。スバルのWRX」 ふうん、と言う撫川はやはり車には詳しくなさそうだった。普段は店のワンボックスばかりに乗っている撫川にとってスマートな久我の車がカッコよく見えたのだ。何より、久我の車だと思うと特別感が湧いた。その目はまるで子供のようにキラキラと輝いていた。 自分が撫川の過去を知り、それを警察側に報告したと分かっても、その時もまた撫川はこんな顔をしてくれるだろうか。 そんな事を考え始めた久我は頭を振ってその考えを断ち切った。 今夜だけ、今夜だけは何も考えまい。 当ても無く走る車は、気付けば何となく港方面へと走行していた。 雨で洗われた街並みがいつもより煌びやかに見える。 「もう直ぐクリスマスだからかな、イルミネーションが綺麗だね」 「え?あ、ああそうか、もうそんな時期か。だからクリスマスリースだったんだな」 撫川がドアにかけていた綺麗なリースを思い出す。 この所張り詰めていたせいで、周りのことが見えていなかった事に久我は今気づいた。 「へえ、クリスマスリースって久我さんでも知ってるんだ」 「馬鹿にするなよ、そのくらい常識だ。オレをどんな堅物だと思ってるんだ?」 「そうだな、齧ったら歯が欠けるくらい堅物だと思ってた」 友達同士のような何げ無い会話を交わながら街を走り抜け、車は埠頭の近くの賑やかな街まで辿り着いていた。 「良い時期に来たんじゃ無い?凄いよ!イルミネーションが凄く綺麗だ!本当にデートみたいだ!ね、ちょっと歩こ?」 港の倉庫近くに車を止めると、撫川は車の外に小躍りするように飛び出した。 こんなに寒いのに街はクリスマスムードを求めて来た人達が行き交っていた。 眩しい光を纏った近未来的な建物や眩いイルミネーションで飾られた大きな観覧車。 訳もわからず撫川と久我は笑いながら走っていた。 一際賑わう場所に出ると、イベント会場へと吸い込まれる人達の群れに巻き込まれた。 何となくその流れに乗って歩いていくと『クリスマスマーケット』と書かれた横断幕が下からライトに照らされてクリスマスムードは否応なく盛り上がる。 行こう!と勇んだものの、どうやら予約制らしく入れるかどうかも分からず時間を惜しんだ二人は桟橋に向かって歩き出した。 途中の屋台でホットワインで乾杯し、ピザを立ったまま頬張った。 「僕、こう言うせいしゅんぽい事して見たかった」 そう事も無げに笑って話してはいるが、撫川には青春はなかったのかもしれない。中卒で社会に飛び込んだ撫川がどう生きてきたのか分からないが、遊ぶ余裕なんて無かった筈だ。 「二十六だって充分、まだ青春だ」 クリスマスの雰囲気に二人で気持ちを高揚させながら桟橋の上を歩いて行くと少しずつ人影がまばらになって行く。海は真っ黒で、水平線や対岸に掛かる大きな橋を彩る灯りが、辛うじて海と空と陸地を分けていた。 「昼間なら海が見られたな」 「今度、今度また来れば良いじゃない!」 そう簡単に言って撫川が前方に走り出す。 冬の夜空に両手を目一杯広げて冴え冴えとした空気を抱きしめる。笑顔で久我に振り返るその表情。その仕草。 久我は初めて「男」を美しいと思った。 「まだチケットありまーす!」 背後の建物の前で、男が往来の人達に向かって呼びかける声がした。どうやら何かの夜景を楽しむ船がそろそろ出港するらしかった。 だが乗船券に空きがあるようで、珍しく外で従業員がチケットを手売りしていた。 「乗ってみるか、船」 突然、言い出した久我に、撫川は悪戯っ子のような笑みを浮かべてこう言った。 「乗ろうよ!久我さん!」 本来なら予約をするのだろうが、今夜はラッキーだった。 桟橋に停泊していた二階建ての船に二人はギリギリセーフで滑り込んだ。 船の中は意外と華奢に作られていて、一階は簡易的な椅子が並べられたフロアと、二階はオープンデッキになっていた。 どっちにすると聞くまでもなく、二人は屋根のないオープンデッキに駆け上がっていた。 デッキに足を踏み入れた所で従業員に黄色い救命胴衣を手渡され、カッコ悪いなと笑いながらも二人はそれを身に付けた。 不安定な空模様と、縛れるような寒さ、それに平日とが重なって、乗客は意外とまばらな感じだった。 「これじゃあ手売りしたくなるのも分かるな」 顔面に冷たい風を受けながら、見晴らしだけは最高のオープンデッキで海から輝く街を眺めた。 デッキに出ていたのは数組のカップルだ。男同士で来ている奴らなんて居なかった。 ボーっと低く汽笛が鳴ると、ゆっくりと船は離岸していく。 「なんか、違う街みたいだ。銀河鉄道が発車していくみたい。僕達さっきまであの光の街にいたんだね。こんな夜景綺麗過ぎる…」 寒さからかいつの間にか二人はピッタリと身体を寄せ合い、撫川は久我のコートのポケットで(かじか)む手を暖めていた。 「毛布、あります。どうぞお使い下さい」 背後から船員に毛布を差し出されて受け取ってみたが、久我は途端に苦笑した。 「一枚って…普通二枚じゃないか?お前を彼女と間違えたのかな」 「二人で包まれって事?ふふっ!なら良いじゃ無い。ご期待に沿って恋人ごっこだ!」 そう言うと撫川は毛布を広げて二人の肩を包み始めた。久我も手伝って二人で毛布を分け合うと身体が直ぐに暖かくなって行く。 「やっぱり、人ってあったかいんだね…」 しみじみとした撫川の言葉に彼の孤独が見えた気がして久我は切ない気持ちになった。 「…撫川…」 どんな北風からも守ってやりたい。 自分の腕の中に隠して全ての醜いものから撫川を庇ってやりたい。 好きだと口走りそうになった時だった。船の中から歓声が湧き上がった。 眼前にオレンジ色に照らされた巨大な工場が迫っていた。その怪物は霧の様に濃い煙を吐きながら暗闇に浮かび上がった。 「久我さん!これ、工場夜景のナイトクルーズ船だ!」 今更二人はそれに気づいた。 闇に浮かぶ工場は力強く禍々しささえ漂う迫力の光景だ。 工場が無機質だなんて誰が言ったんだろう。激しく体動するその姿はまるで生き物だった。 嗚呼、己の中にあるものと同じだ。 これは撫川を想う心と同じ熱い体動だ! それはたった今もオレの中で燃え盛っている! 互いの瞳の中に互いを見つける。 自然と二人の距離が近づき、唇がゆっくりと重なっていく。 雪がとうとう降ってきた。 オレンジの灯りを反射した雪の火の粉が舞い踊るその中で、二人は好きだけでは片付けられない激しいキスをした。
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