第三十三話 愛みたいなものたち

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第三十三話 愛みたいなものたち

「……」 番号は非通知。 ヤクザの鹿島の携帯に一体何の用があって無言電話など入れるのだろう。 こちらが名乗らないと分かると電話は切れた。 何者かの不穏な意図を感じて鹿島は眉間に深い皺を刻んでいた。 それで無くとも最近、撫川に連絡がつかないでいた。そのタイミングでの無言電話だった。いくら細かい事を気にしない鹿島でも、これは流石に気になった。 こちらから撫川に電話をかけても電源が入っていないと言われてしまう。 事務所の椅子に深く座りながら、手の中の携帯を黙って睨みつけていた。 そこへ何者かからのメールが届いた。宛名もアドレスも覚えはなく、そのいかにもイイ加減な文字の羅列から、海外の怪しいサーバーから出されたのだろう事が伺えた。 添付された何かを開くのは気が進まないが侭よとそれを開いてみた。 それは一枚の写真の添付。 目に飛び込んできたのは艶かしい白い背中だ。 それはうつ伏せにベッドらしき場所に倒れているミルクティベージュのウェーブ髪。 一目で撫川だと分かった。 他人に決して背中を見せない子が無防備に背中を晒して倒れている。 鹿島はただならぬ事が起こっている予感に驚いて思わず勢い良く椅子から立ち上がった。 子分達が一斉に鹿島に振り返る。 「オヤジ?どうしたんですか」 「……、何でもねえ。ちょっと出て来る。…もし撫川が来たら引き止めておけ」 それだけ言い残して鹿島は事務所を出て行った。 「ほう、殊勝なことだな。親分みずから逮捕されに来たか!」 後藤は少しばかり大仰に驚いてみせた。 鹿島が来ていたのは警察署のロビーだった。大胆にもマル暴の後藤を呼びつけていたのだ。 「そんなんじゃねえや、アンタにちょいと相談があるんだが、外出られるか。ここはちいとばかし居心地が悪いんでな」 そこかしこでウロウロしている警察官を鬱陶しそうに眺めて鹿島は後藤を外へと連れ出した。 「俺も暇じゃねえんだ、愛の告白とかはやめてくれ」 「テメェ、それ以上ぬかしやがったら殺して本部に泳いでいる鯉の餌にしてやる!真面目な話だ!」 結局何処へ行くと言うでもなく、署内の駐車場の片隅での立ち話になった。 「なあ、ゴマキさん、アンタこれどう思うよ」 そう言いながら鹿島は例の写真を後藤に見せた。 「うん?これは、アンタの情夫じゃねえか」 「そうだ。こいつが最近連絡がつかねえと思ったら、さっきこんなメールが届いたんだが、写真が送られて来ただけで何の要求もねえ。妙だと思わねえか」 「ふん、そうだな、浮気現場にしては生温い写真だなあ、テメエんとこの若い衆に探らせりゃイイじゃねえか。警察は暇じゃねえんだ」 後藤はタバコを取り出すと、鹿島にも一服やるかと箱を差し出したが鹿島はそれを押し戻した。 「てめえの情夫(イロ)の事で組を騒がせたくねえんだ、花屋にも自宅にも帰った形跡がねえ。人探しはオタクら得意じゃねえか」 後藤はタバコを咥えながらせせら笑った。 「流石の親分さんにもアキレス腱はあったって事だな。面子とか言ってる場合じゃ無いんじゃ無いですか?組員総出で探してみたら」 タバコに火をつけようとすると、鹿島がその口元から白筒を毟り取った。 「タダとは言わねえ。それなりの情報をやるから協力しろ」 「親分さん、それはお願いじゃ無いぜ、脅迫だ」  ここまで言っても茶化してくる後藤を見限るように鹿島はその場から立ち去る構えだ。 「分かった、もういい。この話は忘れてくれ」 帰ろうとする鹿島を後藤が引き止めた。 「短気な野郎だな、ちょっと待てよ。やらねえとは言っちゃいねえよ。ちなみにこの携帯、借りてもイイかいかい。無言電話とメールの出所を調べたい」 「……分かった」 一瞬考えたが鹿島は都合の悪いデータを消去すると後藤へと携帯を手渡した。 「おいおい、俺としちゃあそっちの消したデータの方が気になるんだが?」 「ふん、だから消したんだよ。どうせその気になればオタクらは何であろうと復元しちまうんだろうけどな、ま、俺の悪あがきだ。……ーー頼む」 随分と低姿勢の鹿島を珍しそうに見遣り、要件だけ言って立ち去って行く背後に呼びかけた。 「だいぶコイツに惚れ込んでるな」 後藤の言葉には答えぬまま、肩越しにチラとだけ視線を寄越しただけで鹿島は去って行った。 子分も連れずに警察くんだりまで一人で現れた事が鹿島にとってこの事が重大である事は明白だった。 後藤は改めて携帯に送られて来た写真に視線をを落とす。 「ふうん、こゃあ色っペー兄ちゃんだな」 「はくしゅん!」 鳳の住んでた家の前で撫川は大きなくしゃみをした。 「風邪ひいたか、大丈夫か?」 「平気、なんだかちょっと鼻がムズムズと…」 久我も撫川も、もぬけの殻のボロアパートを想像していたが、訪ねた住所は一戸建ての、ちゃんと人の住んでいる閑静な住宅だった。 インターフォン越しに対応に出たのは女性。 警察の捜査の一環で、鳳悠也の事を調べているというと、程なく中から年配の女性が現れた。 人当たりの良さそうな女性は、突然の訪問にも拘らず、快く家の中へと招き入れてくれた。 通された仏間には人の良さそうな彼女の夫の写真が飾られていて、彼女はその写真を眺めながら昔の話を教えてくれた。 当時福祉関係の仕事を退職したばかりの彼女の夫に、養護施設の田村と言う知り合いから、児童養護施設から初めて独り立ちをする子がいるので、就職が決まるまで面倒を見てくれないかとお願いされたんだと言う話をしてくれた。 鳳悠也は真面目で礼儀正しく、十八歳なのに普通の子供より随分と大人びていたと言う。 手に職をつけたいと言っていたが、まさかそれが刺青の彫師になるとは思わず、ヤクザな家業だからやめなさいと、幾度となく夫と二人で説得していたのだと言う。 しかし鳳の意思は固く、程なくして彼は刺青の彫師の元で住み込みで働く事が決まり、一年足らずでここを出て行ったのだと言う。 久我がその刺青の師匠という人の名前や住所を尋ねると、彼女は住所録の中にあったその男の名前を教えてくれた。 そこには旗豪志(はたごうし)と言う名前が記されており、この町からさほどと遠くない場所に工房を構えているようだった。 聞けることは聞いて重々礼を言い、二人が立ち去ろうとした時、玄関先で引き止められた。 「あの、鳳くんは弟さんに無事会えたんでしょうか。ずっと彼はその事を気にしていましたから、いつかは一緒に暮らす心算だったようでしたが…」 その話を聞いた撫川は、今まで久我の隣で一言も発しなかったのに「はい、逢えました」と微笑みながら彼女に告げていた。 その微笑みに久我の心が何故か掴まれたような痛みを感じた。 これはなんの痛みだろうか。 撫川が喜ばしい話を笑顔で語った。ただそれだけなのに、久我は気持ちが激しく波打つのを感じていた。
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