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第四十七話 狂気の沙汰
大通りから一つ角を曲がれば信号待ちが馬鹿らしく思うほど閑散とした住宅街に出た。
「ここからシェルターは遠いんですか?」
「いいえ、直ぐそこです。目立たない場所に何気無く建ってます。ぱっと見には介護施設のような造りになってますよ」
児童擁護施設育ちの撫川にはそう言う施設は慣れた雰囲気の場所だ。
どんな所に行くか多少の不安はあったが、撫川にとってそれは返って落ち着く情報だった。
信号待ちの間、二人が何気ない会話を交わしていると、バックミラーに嫌でも目を引く派手な格好の性別不明の人物がこちらに近づいて来るのが見えた。
不思議なものを見るように、二人はミラーの中のその人をぼんやりと眺めていた。
その人は、運転席側の窓をコンコンと叩いて来た。真っ赤で大きな口が笑いながら助手席の撫川にも能天気な様子で小さく手を振って愛想を振りまいている。人懐こいこの雰囲気が二人の緊張感を欠く事になった。
ジェスチャーを交えながら何かを言っているようだが今ひとつ聞き取れない感じで澤村は窓を半分ほど開けた。
「どうしました?」
「ありがとう!悪いわね〜、アタシここに行きたいんだけど、此処どこかしら?それすらもわからなくってえ」
そう言いながら、その人はガサガサと折りたたまれた地図を広げて見せて来た。仕方なく澤村が窓を全開にして地図をく覗き込む。
いくら人通りも車も無いからと、こんな道の真ん中で、しかも今時紙の地図とは。
信号を気にした撫川がほんの一瞬正面を見た時だった。何か生暖かい飛沫が顔に降りかかり、驚いて咄嗟に澤村の方を見た。
だが撫川の目に飛び込んできたのは俄かに信じ難い光景だった。
顔を覆うように広げられた地図に真っ赤な血飛沫を撒き散らし、澤村が悲鳴ひとつあげず、喉を裂かれて絶命している。
瞬きをする程の束の間の出来事だった。
それはまるで悪魔が見せた白日夢だ。スプラッター映画の中にいきなりワープして来たかのように現実味が無い感覚。
「え……?」
一瞬、周囲の物音がかき消えた。
ドアが開き、そいつは血飛沫で真っ赤に染まった澤村の襟首を捕まえると、まるでゴミ袋を外に放り出すように抵抗ないその身体を引き摺り下ろして路上に捨てた。
「あなた、運転してくださる?」
撫川は目も閉じられず体も動かず、叫び声すら出て来ずに、強い力で腕を掴まれ運転席へと引き摺られた。
「早く出して」
狂気の所業を行った人間とは思えぬほど涼やかな声が撫川に命令する。
身体が強ばり手が震えて思うように動けぬ撫川が這うように運転席に移動すると、助手席に乗り込んできた相手がナイフを喉元に突きつけて来た。ナイフからは澤村の血が撫川の喉元に滴った。
彼女のザックリと裂かれた赤い喉元がぶちまけられたインクのような衝撃を以って脳裏に蘇り身が竦む。
急かされて過呼吸になりながら握るシフトやハンドルは血に塗れてヌルヌル手が滑り、うまく発進出来ない。
「早く!」
急かす声が撫川を脅すと漸く発進したものの頭が真っ白だった。ミラーに写る路上の澤村が段々遠ざかって行くのが見える。
何が起こってる?
どうなってる?!
これは何?!
車内に充満する血の臭いすら今の撫川には感じることが出来ない。
自分の手も顔も、全身が澤村の血に塗れていた。
「…ど…して…こんな…!」
声を震わせ塞がる喉が漸く絞り出した言葉がそれだけだった。
「嫌だな、そんなに怯えないでよ、撫川くん。君、ボクから逃げちゃうんだもんな、ちょっとつれないんじゃない?」
その言い方。
その声。
その雰囲気。
僕ははこの人を知っている!
ーーー浅野!!
若松北通り三丁目交差点にて若い女性の刺殺体が路上に放置されていると言う無線情報は浅野を追って緊急配備中の捜査員達の間にも一斉に駆け巡った。
そして殺害されていたのは警備部の澤村と言う情報は、現場を震撼とさせていた。
警察の避難シェルターに撫川蛍を移送中の出来事だった事を考えると、浅野に共犯者がいるのでは?と言う考えが浮上する。
その女は澤村を路上に放置したまま車を奪い、撫川を乗せて逃走していると言う。警察無線の後報が久我に容赦なく事実を突きつけた。
運転中の久我はパニック寸前だった。
澤村が死んだ?!
オレンジ色の頭の女?!
浅野では無く?!
どうしてそうなった?!
撫川はどうなったんだ!!
密かに発狂しかけている久我の耳に無線の瀬尾がたたみ掛ける。
[こちら警視庁瀬尾!久我!E班が一番現場に近い。巡回中の警察官二名が現場にいるから至急若松北交差点に向かいどうなってるか報告せよ!他A班からD班は引き続き浅野の捜索だ。…それから久我!逸るな!]
何でもお見通しの瀬尾が名指しで久我に釘を刺す。
だが、すでに久我の頭は混乱の極みだ。無線の向こうの瀬尾の声に言葉が追い縋る。
「あのっ、瀬尾さん!撫川は…」
[まだ分からん、とにかく現場へ行って状況報告をしろ…落ち着いて行けよ久我!]
瀬尾の落ち着いて行けと言う言葉が久我の中で空を切る。
これではダメだと分かっていながら、冷静になろうとするほど焦りが募る。
これまでの人生、自分は冷静沈着な方だと思っていた。だから警察官に向いていると思っていたのに、撫川に出会ってからと言うものまるで正反対になってしまった。こんなに自分が使い物にならないとは思わなかった。
激しく動揺しながらも現場に着くとほぼ同時に臨場班も到着して路上の遺体の周りをビニールシートで覆っているところだった。
「松野、悪いが先に聴取に行ってくれ」
車を降りた久我はそう言うと、自分の携帯を取り出してそれを見つめた。
もし、撫川が電源を切っていなければ今朝置いてきた携帯が役立つ筈だ。
こちらから電話をしたいが、それをしてしまえば犯人に気づかれる恐れがある。GPSを頼る他はないと思い、久我は祈るような気持ちで追尾画面を開いた。
地図上を動くポイントマークは撫川が南関道を南に向かって移動している事を教えてくれた。久我は内心、やったと思った。
これを瀬尾と共有すれば直ぐにも女は捕まり、無事に撫川も保護されるだろう。
そうすれば後は浅野の捜索に専念できると考えた矢先、手の中の携帯がいきなり震えて慌てた。見れば撫川に渡した携帯からだ。久我は携帯に飛びついた。
「撫川!無事か!」
「…………こんにちは、…その声はあの時の怖いお兄さんだね。ふうん、アンタ久我って言うの」
電話の声は撫川のものでは無かった。
だがその声に聞き覚えがある。
軽薄そうな喋り方はあのクラブで撫川を掻っ攫った男の声だ。
それは一連の刺青連続殺人事件の第一容疑者に躍り出た、今緊急配備中のまさにその男の声だった。
「浅野…!なんでお前がこの電話を…!」
「皆んな僕のこと女だと思ってるんだもんな、可笑しくなっちゃうよ!」
そうか、澤村を殺し撫川を攫ったオレンジ色の頭の女と言うのは…!
「撫川は無事なのか?!何でこんな事をする!撫川の背中に刺青は入っていない!だから今すぐに撫川を解放しろ!」
「騙されないよ、そんなの嘘だろう?君の背中には必ず刺青が入ってるはずだ。鳳の最高傑作が!」
「そこに撫川がいるのか?!撫川!なつかわ!!」
「久我さん!僕は無事だから!僕は…っあ!」
何か揉み合う音が携帯の向こうから聞こえ、そして突然激しい雑音と共に通話が途絶え、GPSも反応しなくなってしまった。
久我は握り締めた携帯に向かって叫んでいた。
「どうした?!撫川…!なつかわ!!」
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