神事 前編

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神事 前編

"冷たい男"と彼は町の人達から呼ばれていた。  親しみを込めて。  生まれた時から彼の身体は冷たかった。  冷たすぎて子宮から出た途端に取り上げた助産師の手が悴み、分娩室の温度が3度下がった程だ。  低体温症かも⁉︎  医師は、看護師たちにお湯を準備してするように告げた。  今までの経験からそんな症状では説明出来ないと医師も感じながらもそれしか対処方法が思いつかなかった。  結果として診断は間違っていた。  彼を震える手でお湯に浸けるもすぐにそれは水へと変わった。それも氷を落として何時間も経ったような冷却水に。  そして医師たちは気づいた。    これは低体温症などではなく、彼に取って正常な状態なのだ、と。  凍えるように冷たい以外に彼の症状にはなんの変化もなかった。  脈拍も正常、血圧も正常。  その他の面でも何の問題もなし。  直接、母乳として挙げられず、極熱の哺乳瓶(そうしないと口に触れた瞬間に氷水のようになってしまうから)からミルクをあげないといけない以外は、食欲も旺盛で体重も平均よりも大きいくらいだ。  つまり彼は健康優良児として生まれたのだ。  そして一週間後、彼は無事に退院。  一歳半検診も3歳児検診も体温が異様に低く、素手で触れた人を凍えさせてしまう以外は何の問題もなかった。  両親は、彼を溺愛した。  多少、育てにくい面はあったものの、部屋の中では厚着して、料理を作る時は熱々にし、触れる時は手袋を付ければ問題はなかった。  彼を愛することにそんなことは障害にもならなかった。  そんな彼を町の人間たちも受け入れてくれた。  それほど大きくない、自然豊かな町だったことも幸いしたのかもしれない。  小学校にいっても虐められることなく、勉学や遊びに励み、町内会のイベントにも参加した。  手袋を嵌めれば友達とも触れ合えたし、厚着すれば周りを冷えさせることもないと、色々試行錯誤した結果分かったことも大きかったと思う。  中学でも部活や勉強を楽しみ、高校にも進学し、無事に卒業して就職をした。  就職した先は、葬儀屋だった。  黒いスーツに身を包んだ彼は棺に向かってゆっくりと頭を下げる。  棺の中には昨日亡くなった若い女性が眠るように横たわっていた。  彼は、手袋を外すと女性の頬にそっと触れる。  冷たくなった彼女の身体がさらに冷たくなっていく。女性の身体を包む白い布が糊をつけたように固くなり、棺の中が冷蔵庫のように冷たくなる。  彼は、女性の頬から手を離す。 「これでご葬儀の日まで奥様のお身体は綺麗に保たれるかと思います」  彼が優しく声をを掛けると亡くなった女性の夫は嗚咽を上げて感謝する。  そして自分の手が凍傷になるのも構わず彼の手を握る。 「ありがとうございます!ありがとうございます!」  夫は、何度も何度も感謝する。  彼は、夫の手を心配しつつも小さく微笑む。 「どうぞ、奥様とゆっくり語らってください」  彼が休憩室で熱々のお茶に口を付けようとした瞬間、乱暴にドアが開いた。入ってきたのはショートヘアの目の大きな可愛らしい少女だった。日に焼けた小麦色の肌が何とも微笑ましい。  少女は、彼の名前を大きく叫ぶと大股で近づいてくる。  彼女は、きっと彼を睨みつける。 「あんた今年もお社様のところに行くって聞いたけど本当?」  何だそんな事か、と彼は胸を撫で下ろす。  何か彼女を怒らせることでもしてしまったのか、と冷や冷やしていた。 「そうだよ」 「危ないから断りなさいって言ったでしょう!」  少女は、怒りに目を釣り上げる。  それが彼を怒っているのではなく、純粋に心配してのことだと言うのが伝わり、彼は微笑む。 「そうは言っても神事はやらない訳にはいかないでしょう?それに・・・」  彼は、冷えて表面に氷の膜の張った湯呑みを置く。  うっかりと手袋を嵌めるのを忘れてしまった。 「これってオレしか出来ないでしょう?」  そういうと彼女も黙ってしまう。  彼女も分かっているのだ。  この神事が大切なことは。  そして理解しているのだ。  この神事は、彼にしか出来ないと言うことを。 「怪我して帰ってきたら許さないからね」  少女は、目を逸らし頬を膨らませながら言う。  その仕草があまりにも可愛らしく彼は思わず微笑んでしまう。 「善処します」
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