ブエルシナ島

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 何かに急き立てられるように、奏澄は走った。乾いた喉がひりひりと痛むが、それどころではなかった。どうしても、男を助けたかった。それはきっと、男のためではない。ただ、できることが欲しかった。 「すみません、医者は、どこにいますか!」  必死の形相で問い詰める奏澄に、島民は診療所の場所を教えた。礼を告げ、すぐさま駆け出す奏澄を、島民は呆気にとられた顔で見送った。  息を切らせたまま、奏澄は診療所の戸を強く叩いた。日は落ちて、辺りはすでに暗くなっていた。 「すみません、誰かいませんか! 急患なんです!」  ややあって扉が開き、初老の男が姿を見せた。 「……どうしたのかね、お嬢さん」  おそらく医者であろうその男は、奏澄の姿を見て顔を顰めた。厄介ごとだと思ったのか、或いは昼間歩き回っていた奏澄を見かけたのかもしれない。 「倉庫の方で、ひどい怪我をした人が倒れているんです。動けないほどで、連れては来られなくて……。お願いです、一緒に来てはいただけませんか!?」 「倉庫? ……怪我の原因は?」 「はっきりとは、わからないんですけど……おそらく、暴行を。打撲や裂傷がひどくて」  それを聞いた医者は、溜息を吐いて頭をかいた。 「お嬢さん、そいつはおそらく海賊だ」 「かい……ぞ、く?」 「人目につかない場所で乱闘なんぞしている奴らはだいたいそうさ。まぁ珍しくもない、自業自得だよ。危ない目に遭いたくなかったら、お嬢さんも関わらない方がいい」  海賊。耳慣れない言葉に、すぐには飲み込めなかった。だが、医者が扉を閉じようとしたのを見て、反射的に扉を掴む。 「っならせめて! 薬をいただけませんか!」 「……どうしてそこまで」 「助けたいんです……お願いします……!」  悲痛な奏澄の声に、医者は暫く沈黙した後、深く溜息を吐いた。 「……金は持っているのか?」 「え? ……あ、えっと」  問われて、奏澄はざっと血の気が引いた。自分が無一文なことを忘れていた。だから水一つ買えなかったのに。無意味にぱたぱたと服を触って、首から下げているものに気づく。  両親からのプレゼント。海が好きな奏澄のために、深い青のサファイアをあしらったネックレス。  イミテーションではない、本物の宝石だ。日本でもそれなりの値段がつく。  それを手に取って、一度強く握りしめた後、奏澄は医者にネックレスを差し出した。 「これで、お願いできないでしょうか……!」  医者はネックレスを受け取って、家の明かりにかざし、じっと眺めた。 「……薬代にしちゃ、釣りがくるな」 「! それじゃ」 「他に、入り用なものは」 「あ、では、水と……清潔な布を、いただけると」 「少し待っていなさい」  一度扉を閉じて、医者は家の中へと戻っていった。奏澄は、落ちつかない気持ちで待っていた。  ほどなくして、医者がランタンと、袋に荷物をまとめて用意してくれた。 「これが傷薬。こっちが化膿止め。熱が出ているようなら、この解熱剤を飲ませなさい。水は多めに用意したから、重いぞ」  ランタンを手に提げ、慎重に袋を受け取って、奏澄は深々と頭を下げた。 「本当に、ありがとうございます!」 「私は、忠告はしたぞ。どうなっても責任は持たないからな」 「わかってます。ありがとうございます!」  再度頭を下げて、奏澄は大事そうに袋を抱えたまま走り出した。  はやく。はやく。逸る心につられて、足がもつれないように必死だった。  倉庫の場所まで戻ってきて、奏澄はまず目をつけていた使われていない倉庫に荷を下ろした。袋を抱えたままでは、手を貸すことができない。この場所なら、人に見つからずに夜を明かすこともできるだろう。念のため、倉庫内にあったボロ布の埃を払い、荷物の上に被せた。  急いで男が倒れていた場所まで戻ると、変わらず男はそこにいた。 「い、生きてますか!」  慌ててランタンの明かりをかざしながら、手足を投げだして仰向けに転がる男を上から覗き込んで、奏澄は泣きそうな顔で声をかけた。 「……本当に戻ってきたのか」 「あの、医者は連れてこられなかったんですけど、薬を貰ってきました。使ってなさそうな倉庫に置いてきたので、少しだけ歩けますか?」 「必要ない。放っておけ」  突き放すような物言いに、思わずたじろぐ。けれど奏澄はぐっと堪えて、ランタンを足元に置き、全身で無理やり男の体を背負おうとした。 「っおい!?」  驚いたような男の声と共に、奏澄の体がべしゃりと潰れた。さすがに成人男性を担ぐのは無理だったようだ。 「馬鹿なのか……考えればわかるだろ」 「……考えません」 「何?」 「余計なことは、考えません」  ぐ、と体に力を込める。 「あなたを生かすことだけ、考えます」  助けるとは言わない。この行為が、男にとって助けになるかどうかはわからないから。  これは奏澄のエゴだ。男の命を救うことで、自分の何かを満たそうとしている。  考えたくないことが、多すぎる。だから、目の前のことだけ考える。  この男を、生かす。 「…………」  男が、足に力を入れ、自力で立とうとした。だが、やはり痛むのか小さく呻き声を上げてふらついた。 「だ、大丈夫ですか」 「肩だけ、貸せ」 「え……あ、はい!」  男はランタンを拾った後、もう片方の腕を奏澄の肩に回し、凭れるようにして歩き出した。身長差があるため歩きにくそうだったが、せめて倒れないようにと、奏澄は懸命に体を支えた。
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