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序章
目を閉じて、波の音を聞く。
潮の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
海風を肌で感じる。
そうしてやっと目を開いて、眼前に広がる一面の青を見つめる。
それが、奏澄の落ち込んだ時のリフレッシュ方法だった。
大学から電車と徒歩で三十分かからずに来られるこの高台が、奏澄のお気に入りのスポットだ。上まで登る方法が階段しかなく、そこそこの体力が必要。海が見えるだけで他には何もなく、観光地でもないこの場所は、夏のシーズン中はともかく肌寒くなる季節にはそれほど人も来ない。一人で考えごとをするにはちょうど良い場所だった。
海にいると落ちつく。山も嫌いではないけれど、やはり海が好き。幼い頃から海の近くで育ったこともあるだろう。
手摺に乗りかかるようにして腕を置き、その腕に顎を乗せた。そのままぼーっと海を眺める。
――なんだか今日も、うまくいかなかった。
勉強も、部活も、バイトも、それなりにはこなしている。それなりに。家があって、両親がいて、学校に通えて。きっと人から見たら、何の問題も無いのだろう。どこにでもいる、ありふれた、一人の女の子。
けれど奏澄は、満たされない何かを感じていた。言いようのない不安が胸を占めて、ざわつく。みぞおちの辺りがずくりとして、どうしようもなく泣きたくなる時がある。
誰と喋っていても、なんだか存在があやふやで、まるで自分がそこにいないように感じる。笑っているのに、心が冷えている。自分の居場所はそこには無いのだと、思ってしまう。
映画や小説のようなドラマチックな出来事は、現実には起こらないのだということはとうに知っている。本音を曝け出して心を預けられるような友情も、全てを投げ打ってお互いを求めるような恋愛も、そうそう有りはしないのだ。
そんな中で、皆うまくやっている。うまくやっていく術を身につけて、それなりに自分の人生を楽しんでいる。
それが奏澄には、うまくできない。自分と他人のバランスを取ることが、奏澄にとってはひどく難しかった。近づこうとすれば境界線が曖昧になり、距離を取ると遮断してしまう。
ただ、誰かに必要とされたい。それだけのことなのに、いつも空回りしてしまう。
うまくいかなくて、その度に落ち込んで。自分など、要らないのではないかと。答えの出ない問いかけを何度も繰り返し、息が詰まる。
だから息をするために、この場所に来るのだ。ここだと、呼吸ができるから。
――このまま海に溶けてしまえたら、悩みなんてなくなるのにな。
頭を過ぎった馬鹿な考えを吐き出そうと、奏澄は深く息を吸った。
ドン!!
吐き出そうとした息が衝撃で詰まる。ぐらりと体が傾ぐ。自分の体が手摺を越えて、青がどんどん近づいてくる。
誰かに突き落とされた、と認識した頃には、冷たい海に沈んでいた。
薄れていく意識の中で、人の体は海には溶けないんだな、などと、当たり前のことを思った。
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