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29 ハルユズ
おきる、と腕を伸ばした柚月を晴太がよいしょ、と引っ張り起こす。
「はい、よく起きた」
寝起きの柚月は無防備で可愛い。晴太は、まだぼうっとしている柚月を抱きしめる。
好き放題しても柚月はなすがままだ。柚月の寝癖を撫でつけ、両手で頬を挟み、まぶた、鼻先、そして唇にキスをすれば、ようやく目の覚めた柚月にがぶりと唇を噛まれた。
「痛って!」
「やりたい放題は許さん」
「ちぇ」
ちぇ、じゃねえよ。と、柚月は反撃に出る。甘い反撃も悪くない。晴太はクスクスと笑いながら、じゃれついてくる柚月を抱き留めた。
「おはよ」
「……おはよ」
タウン誌の注目スポット紹介ページを任されることになった。晴太は撮影、柚月はコラムの文章を担当する。
遅めの朝食を駅の近くのハンバーガーショップで摂り、それぞれの自転車に跨って向かう先は、森林公園の一角にオープンしたキャンプスポットだ。
森林公園は、休日を満喫しようと大勢の人で賑わっている。
自転車を停め、管理事務所にタウン誌の取材である旨を申し出る。身分の確認を済ませると、既にいくつかのテントが設営されているフリーサイトに足を踏み入れた。
しっかり一泊する装備のソロキャンパー、気軽にデイキャンプを楽しむ家族連れ、早くもバーベキューで盛り上がる男女グループ。
作品の題材探しを兼ねてと、コラムの話を引き受けてきたのは晴太だった。この景色の中で良いものが見つかれば、それもカメラに収めるつもりだ。
「ゆずー、こっち来てみろー」
キョロキョロと珍しそうに辺りを歩き回る柚月を、晴太が呼んだ。
「え、晴太、いつの間にこんなもの持って来てたんだよ」
コンパクトながらも骨組みと背もたれのある椅子が二脚。オモチャのように小さなテーブルが一台。テーブルの上には水筒と、アルミのマグカップが二つ。
「せっかくならさぁ。気分だけでも味わいたいなって思ってさ」
座ってみ? 晴太の言葉に、柚月はおそるおそるキャンプ椅子に腰掛ける。思っていた以上に座り心地が良くて快適だ。
「そして、アイスコーヒーをどうぞ」
甲斐甲斐しく、晴太が水筒の中身をマグカップに注いで渡した。
「何これ、いいじゃん」
「だろ?」
二人でしばらくの間並んで座り、少し汗ばむくらいの陽気を楽しむ。座っていれば、肌を撫でる風を感じて気持ちが良い。
カシャッと小さなシャッター音が響く。
「あ、何勝手に人の横顔撮ってんだよ」
「ふふん」
晴太のカメラに、素のままの柚月が焼き付けられた。初めて見た時の美しくて少し近寄り難かったそれとは、また違った表情。
結局、この景色の中で一番良いものは晴太の隣にある、ということだ。
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