第三話 二人の師匠

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第三話 二人の師匠

2006.4.29 -SATURDAY- 「ち、ちょっと待った!」  将都は肩で息をし、苦しそうに言った。  片膝をマットに付けて、オープンフィンガーグローブを着けた手のひらを前に出し、“ストップ”を要求する。 「“()った”じゃなくて、“(まい)った”な」  爽やかに微笑みながら、将都を見下ろすのは、六堂私立探偵事務所“所長”、 六堂(りくどう) 伊乃(いの)。  将都と同じグローブを着けている両手をだらりと下げた。  六堂が構えを解くのを見ると、将都は両手両膝をマットにつけた。額の汗がポタポタとマットに落ちるのが目に入る。  そして、酸欠で次の言葉がなかなか出てこない。 「……り、り、六堂さん…強すぎ…おかしいっしょ」  六堂は肩を竦め、端に置いてあるペットボトルを手に取り、蓋を開けて水を口にした。  ここは都内埠頭の倉庫だ。  そしてその中は、いわゆる“訓練施設”になっている。  ウェイトトレーニング器具やサンドバッグが並び、立ち技から投げ技、寝技まで練習できる格闘用マットが広く敷かれ、防音設備で作られた部屋では射撃訓練も行えた。  六堂曰く、“かつては自分もここで鍛えられた”そうだが、倉庫の所有者こそが彼を鍛え上げた人物だと、将都は聞かされている。  今は事務所が、この倉庫を“その人”から借りているそうなのだが、設備費用はどこから出ているのだろうかと思わされるほど、充実した場所だ。  今日は依頼も特になく、土曜なので休みでもよかったのだが、六堂が“新人”の将都に訓練を施すためにここへ連れてきていた。  少し息の整った将都は、ゆっくりと立ち上がり、隅に置いてある水の元へ。パンパンに張った脹脛が痛く、体が重く感じる。 「俺、六堂さんみたいになれる気がしないッス」  そう言うと、将都はペットボトルの蓋を開け、真上を向いて勢いよく水を飲んだ。  今は打撃のみの組手(スパーリング)を行っていた。これが掴みや投げもありの“何でもありルール”にすると、将都は六堂に対し更に手も足も出なくなる。 「安心しろ、十分強いよお前は。お陰で俺もいい運動になってる。三十路も過ぎると、どうも衰えが早くてさ、定期的に身体動かさないといかんのよ」  六堂はタオルで汗を拭うと、笑顔でそう言った。 「お、衰え?んなこと言って、全然本気出してないでしょう?」  驚く将都のそんな発言に、苦笑しながら首を振る六堂。 「本気で”バチバチやる”だけが、いい訓練”じゃあないんだよ。それにいくら訓練しても、実戦、現場でしか得られないものも沢山あるんだ」 「…そんな危険なことってありますか?」 「ま、仕事によっては、だな。どうだ、11ラウンド目、やるか?」  将都は手と首を振った。 「勘弁してくださいよぉ…。これ以上やったら次の射撃訓練が出来なくなります」 「はは…そうかわかった。じゃ、マット掃除するぞ。それから少し休んだら、射撃だ」 「うすっ」  将都は、六堂が強いことは知っていた。だが、ここまで実力に差があるとは想像していなかったので、軽くがっかりしている。  将都は小学生の頃、学校でいじめを受けていた。そこまで陰湿なものではなかったが、それでも子供にとって小さくてもいじめはひどく傷つく。  友達も少なく、今でこそ実家の事業は成功しているが、当時は家も経済的に良かったとは言えず、相談するべき親も忙しく、孤独な時間が多かった。  そんな十歳になる年のある日、親の帰ってこない夜に、作り置きの夕飯を食べながら、テレビを見ていた時のこと。  直接打撃制(フルコンタクト)空手の、世界大会が放送されていたのを目にし、それを何となく見ていた将都だったが、画面に映る一人の空手家の凄さにどんどん魅了されていった。  この時こそが、将都が強くなったターニングポイントだったと言えるだろう。  大会は、“極闘会館”主催のもので、四年に一度開催されていたのが世界大会だ。そしてその年の大会優勝は“エイトーザ・アウヴェス”というブラジル人選手だった。  アウヴェスの優勝は、極闘会の総本山である日本にとっての衝撃の出来事だった。  その年の世界大会は、団体設立四十周年を記念した第十回大会。それまでの表彰台は常に日本人選手だったが、外国人選手に初めてその王座を奪われる形となった。  もっとも、それは日本を中心に語るアナウンサーの言葉で、エイトーザ・アウヴェスが実力で勝ち取った世界一であり、“奪われた”とは失礼な言い回しであったと、当時団体の予備知識もなく、偏った見方をしていなかった将都には聞こえた。  その後、刺激を受けた将都は“空手を習いたい”と考えるようになっていった。  しかし、極闘会館の道場は、将都の住む京野城市にもあったが、“通いたい”という話をすることを多忙な親に出来ず、習うことはなかった。  代わりに、ビデオで途中から録画した大会の僅かな映像を元に、技の理屈も理解せずに真似をする日々が続いた。 「ヘイボーイ、それは何だ?空手かい?」  ある日、将都は家の外で空手の真似事(れんしゅう)をしていた時、男から声をかけられた。  肌の浅黒い、外国人だった。  将都は、男の顔は知っていた。  男は数ヶ月前、斜向かいの貸家に引っ越してきた外国人で、もう一人、一緒に住んでる白人の男がいることも知っている。  素性の判らない外国人の男たちが引っ越してきたことで、近所の人間は“何か犯罪でも”と、懸念していて、それが噂になっていた。  そんなこともあり、また急に声を掛けられたこともあり、将都は何と答えていいか迷い、警戒した。 「ははは、怖がらなくていい。オレの名前はラナウグ・ソウザ。君は?」 「…ま、将都」 「マサトか!よろしくな!ご近所さんで、あまりいい顔されてないのは知ってるよ。でも、オレは真っ当な商売をしているビジネスマンだ」  そう言うと、ラナウグと名乗った男は、ポケットに入れていた左の手を出して見せた。そしてゆっくり薬指と小指を折り曲げた。 「いいかマサト。こうだ」  さらにゆっくり、人差し指、中指と、親指の三本を同時に折り曲げた。 「こうしてしっかり握る。これが“正拳”だ。当たり前のようだが、この握りは忘れちゃあいけない。空手を学ぶならな」  そしてスウッと握った拳をゆっくり突き出した。速さはない。だが、その単純な動きが、これほど美しく見えるものなのかと、子供ながらに思った。 「“正拳突き”…わかるか?マサト」  将都は咄嗟に尋ねた。 「…空手やってるの?」 「昔、少しな」  ラナウグはニイッと笑うと、人差し指と親指で何かを摘むようなジェスチャーをした。 「マサトの空手があまりに酷くて、見てられなくてな、ついお節介したくなっちまってよ。ま、今度からは顔を合わせたら挨拶しよーやな」  ラナウグはそう言い、親指を立てると自宅の方へと去って行った。  後に知ったことだが、ラナウグは輸入雑貨の卸業を営んでいる。同居人は、マイク・スタイナーというアメリカ人で、ビジネスパートナーだった。  帰っても家に親がいないことが殆どで、遊ぶ友達も少ない将都は、興味半分で二人の家に足を運んだ。  最初はインターホンを鳴らすも留守ばかりで、上手く会うことが出来なかったが、一度会えた時に電話番号を教えてもらった。  そして将都は、ラナウグとマイクの家に出入りをすることが多くなった。  その理由は、二人が格闘技の経験者だったからだ。 「…え、ラナウグって“エイトーザ・アウヴェス”のこと知ってるの!?」  ラナウグは、ブラジル人。母国のサンパウロに住んでいた頃、中等教育、つまり高校を卒業するまで、“極闘会館ブラジル支部道場”に通っていたのだった。 「こいつは、その頃、アウヴェスのライバルだったんだ」  マイクがそう言うと、ラナウグは首を振った。 「よせよマイク。もう十年以上も前のガキの頃の話さ。あいつは今日でも修行をしてるし、比較にならんさ」  謙遜するラナウグだが、テレビで見た映像の向こう側の達人(アウヴェス)を知ってるというだけで、もう将都は目をキラキラした。  ラナウグの実家は、それなりに裕福な方であった。中等教育を卒業した後、アメリカの大学に進学。それが極闘会館を辞めた理由だ。  逆にアウヴェスは、貧しい家庭に生まれ育ったという。その生まれ持った格闘センスと、空手で一旗上げるというハングリー精神も相まって、世界大会で優勝するまでに至ったのだろうと、ラナウグは語った。  アメリカに渡ったラナウグは、同じ大学でマイクと知り合った。  マイクは学業の傍ら、ボクシングとブラジリアン柔術のジムに通っていた。趣味で始めたらしかったが、ボクシングはプロライセンスを取得。寝技では“アブダビコンバット”で一度準優勝の経験があった。  大学ではもう一人の、日本人留学生の“半沢”とウマが合い、大学卒業した後に、世界の雑貨を扱うビジネスを始めようということになったが、半沢の母国である日本は、治安がいいということで、卸の拠点とすることにしたという。  何年間かはアパートで暮らしていたが、仕事が軌道に乗り、利益も上がるようになってきたので、仕入れたい商品の置き場や事務所も兼ねて、一軒家に引っ越したのが、数ヶ月前のことだった。  と、正直言えば、その頃の将都にはラナウグたちの仕事の話はあまりよく解っていなかったが、ただ二人とは親しくなり格闘技を教わることとなった。二人とも仕事の傍ら、懸命に学ぶ将都を可愛がった。  将都は、いわゆる登録団体も、所属ジムも、どこの流派の段位も持っていない、武道家であり、格闘家であった。  それから十年の時を経て、無門会空手オープントーナメントで優勝した。  ラナウグの空手をメインに、マイクのボクシングとブラジリアン柔術を学んだ将都にとって、“無門会空手オープントーナメント”は、実に丁度良いルールの大会だった。  それは無門会空手ルールが、投げ技や寝技もある着衣総合武道であること。  そしてアマチュアのオープン大会故に、連盟登録だけすれば他流派でも、我流でも、出場出来るというのも、都合が良かった。  “無門会所属の選手”以外の出場者が優勝するのは、2001年大会の女子の部の“青内”以来だということで、格闘技界では一時期話題になった。  が、そんな栄光も、六堂には全く通じないという現実に、将都は肩を落とすのであった。
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