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プロローグ
2007.4.27-FRIDAY-
“今日こそ”。
店のカウンター席に、食事に集中せず、“それ”ばかりを考えている青年男性がいた。
ここは“やまひろ食堂“。
青山橋が掛かっている都道の下の、裏通りに面した目立たない場所にある、飲食店だ。
しかし、昼のピーク時は表通りの会社員やOLたちがやってくる隠れた人気店であった。
今は、夜十九時半を過ぎた頃。
カウンターに座る一人の青年男性は、はっきり言って挙動不審…、落ち着きがない。
男の名は、押尾 将都。二十二歳の若き新米私立探偵だ。
もっとも、現場経験が殆どないライセンスだけを取得した“名ばかり探偵”であるが。
銃の携行や、事件の調査権限を与えられる国家資格“ディテクティブ・ライセンス”を取得するために、都内にある三年制の難関“坂崎ディテクティブ・アカデミー”を、今年の春に卒業。
四月一日からは、この食堂からほどない場所にある、小さな私立探偵事務所に就職していた。
“小さい”と言っても、所長はとても優秀で、受けた依頼を達成出来なかったことはないと、業界内外での評価は高い、腕利き探偵だ。
また副所長は敏腕の“元刑事”、それもロス市警だったという異色の経歴が業界では有名であり、加えて言えば美人で、所長の妻ときている。
つまり、将都の所属先の探偵事務所は夫婦経営なのだ。
将都は、七年前に“ある事件”で所長と出会ったことが切っ掛けで、探偵を目指すことを決意。縁あってその所長の経営する事務所に就職することになったのだが…。
出勤初日、所長が夕飯のためにこの食堂”に連れてきてくれた。
切っ掛けは、この日だった。
「ここ美味いからさ、事務所からも近いし、ぜひ利用してやって」
所長はそう店を紹介し、その日はご馳走してくれた。
“やまひろ食堂”は、所長の小中学時代の同級生である夫婦が営んでいて、所長もひいきにしている常連だ。
確かにめちゃくちゃ美味しかった。食べて将都は感動した。ボリュームも文句ない。
だが、それ以上に、将都は気になるもの…いや、気になる娘が目に入ってしまった。
「ありがとうございましたあ!」
その元気で可愛い声が、今日も将都の心をくすぐっていた。
アルバイトの女子高生、“春子”だ。
これまで開店以来、ずっと夫婦で切り盛りしてきた“やまひろ食堂”だったが、店主の妻が現在妊娠中。
それを機に、何人かアルバイトを雇ったのだが、その内の一人が“春子”だった。
そして将都は春子に一目惚れをしていた。
春子は高校生。学校が終わってからのシフトで、平日の夕方から働いてることが殆どだった。
将都は、店に通う内、自分のケータイ番号と、メールアドレスを書いた紙を彼女に渡そうと、考えるようになった。
ただ、なかなか“それ”が出来ない。
いつも帰宅すると、“次こそは”と思う。簡単なことだ。紙を渡して、「もしよかったらメールからでも」と一言言えばいい。
そう、簡単なこと…
いや、
簡単でない。
まず人目だ、
他の客がいては、自分も恥ずかしいし、相手に迷惑になるかもしれない。
それに店主だって当然いる。
勤務先の所長が、店主と仲が良いのは返ってやり辛い。アルバイトの娘に連絡先を渡すというのはどう思われるものか。
店を“出禁”にされてしまう。
いや、下手をすればクビか、ライセンス剥奪……、まではさすがにいかないとは思うも、芳しい結果にならないことを考えると、怖かった。
そして何より、将都にとって一番嫌なのが“お断り”だ。要するに、知り合う前に“フラれる”パターン。
勢いで渡せば、その娘が紙を受け取るくらいはするだろう。
だが、それで連絡が来なかったら?気まずくて、店への出入りはしばらく出来なくなるだろう。
いや…、彼女が店主に「いつも来てるあの人から“こんなもの”もらいました」などと報告しないとは限らない。となれば、“春子”から連絡が来なかった場合、食堂へは永遠に行けない。
そもそもの話だが、彼氏がいるかもしれない。
右に左に、そんなことばかりを考えてると、当然食べている物の味もわからない将都。
食べ終えて、会計に行こうと思うと、緊張で心臓が高鳴った。
そして…
過ぎ去る春子の笑顔。
今日も、連絡先は渡せず。
財布に忍ばせた、ケータイ番号と、メールアドレスを記した紙は取り出せず、千円札だけを渡した。
おつりをもらう時に触れる“春子”の手が、まと何とも嬉しかったが…
将都は、食堂のドアを閉めると
深いため息をついた。
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