9.七年経っても

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9.七年経っても

ちょっと浮ついた。 他の男子の目に追いかけられることに。それに誰にでも明るく優しい貴くんをヤキモキさせたかった。ただそれだけたった、本当に。なのに、本降りの水たまりの中で膝に血を滲ませながら、どんどん遠ざかる学ランを見ていた。 時枝くんといると楽しかったしフワフワした。同じクラスだから、授業中でも休み時間でもすぐそこにいるし、何より教室をたゆたう空気を一緒に感じることが出来た。クラスの誰かが寝落ちして顎を打った音がクラス中に響いたこと、先生のチョークが折れて粉々に飛び散った怪力具合に皆でのけ反ったこと、ジョークに一度皆でウケたらその先生が何度もそれを繰り返すようになってしまって気まずい空気が漂いまくること、そんな些細なこと。プライベートなことではないけど、でも、ああ、あの時、と言えること。まるでそれが大層なことでもあるかのように。貴くんが知らない私だってあるんだよと胸を張っていた。いい気になっていた。 バカで大馬鹿で愚かな私は取返しのつかない失敗をした。貴くんは私のことを宝物と言ってくれていたけれど、私にとって貴くんは酸素だった。だから、あの雨の日から私はあんまり上手く息が出来なくなってしまった。 横顔を見かける度、何度も駆け寄ろうと、謝ろうとした。でもその度に呼吸がおかしくなり動けなくなった。胸が苦しくてたまらない。廊下で貴くんを見かけたあの日も、結局胸を押さえてうずくまるのが精一杯で、それを見つけた男バレ部員が慌てて時枝くんを呼び、駆け付けた彼にあっという間に抱きかかえられ保健室に連れて行かれた。校内でそんな事をすれば、それはもうすなわち恋人認定になり、私は時枝くんと付き合っていると放課後までに全クラスに広まった。時枝くんが目立つ故の瞬速さだった。 「ごめんな。」 焦げ茶色の瞳が見下ろしてきた。 「違うよ、時枝くんのせいなんかじゃ全然ない。」 「でも俺じゃないだろ?」 苦しそうな二重の向こうに、楽しそうに光る貴くんの大きな瞳が浮かぶ。そうだね。私はいつだって貴くんの瞳を追いかけていた。一年で一緒の部活になった時からずっと。何て明るく瞬くんだろう、楽しそうにほどけるんだろう、一緒にいられたらな。そう思っていた。その温かな光に照らされたかった。あのバレンタインデーにまさかの教卓から告白してくれた時は、まるで陽の光が一直線に私目がけて射しこんだようだった。毎日毎日心の底から温かくて嬉しくて楽しくて、あっという間の一年だった。 なのに、何で私は。 心を移したとか、そういう事じゃ全然ない。いつだって私には貴くんしかいなかった。なのに、何で。バカなの?浮気性なの?高慢ちきなの? 貴くんが聞いたらゲラゲラ笑って、すごいなあ高慢ちきときたか、とか絶対言う。そしたら私も笑って、だよねバカだよねーほんとに、とか言うんだ。あんまり何百回も願いすぎたのか、本当にその通り二人で笑い合ってる夢を見て、朝起きてやっぱり息が苦しくなった。涙が喉に入り、ゼロゼロはあはあ言いながら胸を叩いた。こんな風になったって自業自得だ。何の非も無い貴くんを傷つけたから。だからこんな身体になったって仕方ない。こうやって生きて行くしかない。ずっと忘れない為に。
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