【終章・そよ風の中で】

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【終章・そよ風の中で】

 暗闇の中で、黒を軽減するような白が映る。例えるなら、閉じた瞼に光があてられているかのような、そんな感覚。それがチラチラと繰り返されるものだから、眠りたくても眠れない訳で。俺は仕方なく、眠ることを諦めた。  目を開けると、まるでなにもない一面まっしろな空間に放り出されたんじゃないかと思う景色が広がる。なにも輪郭を成さないから、景色というには語弊があるかもしれないけれど。でも、そんな解釈は俺のはやとちりだったようで、ちゃんと輪郭が形成され始めた。  最初に見えたのは、線だ。それが角だと理解するのに数秒かかった。そして、その角が天井の角と理解した頃には、耳に嗚咽が聞こえて来て、手に温もりを感じていた。  横を向こうとすると、口元に呼吸器が付けられていることに気づく。綺麗な指が、その窮屈な呼吸器を外してくれた。ようやく向けた横には、白衣を来た長髪で白金色の女医が居る。手は、茶髪でサイドテールのかわいらしい美人が握っていた。泣いていたのは、彼女のようだ。 「おかえりなさい」と女医が喋る。名前がわからないから、胸元にある名札を見た。どうやら、王城という先生らしい。 「ただいま?」出かけていた記憶がないから、疑問めいた言い方になる。どうしてか、泣いていた女性をさらに泣かせてしまった。  なんだか悪いことをしたような気になってくるから、罪悪感のままにその女性へ言葉をかけたくなる。 「泣かないで」と自然に溢れた俺の言葉へ、彼女は微笑むように笑った。 「わかった。でも、待ち合わせ遅刻やから、罰ゲームな?」と告げられて、なにかの賭けをしていたのかもしれないと考える。どうしても思い出せなくて、また申し訳ない気持ちになった。 「ごめ――」また呼吸器が付けられた。違う、これは……唇? 瞬間、俺の鼻孔に凄まじい死臭が漂っていたことを思い出す。ここへ来る前の、似たような似ていないような出来事。  その場所では、生意気な赤ずきんとよく笑う筋肉と冗談が言えない膝蹴られマゾと、誇り高いのに人見知りな剣士と、愛する人が居た。記憶の中の彼ら彼女らは、俺の背中を派手に叩いて今の状況を祝福している。色々な記憶がさざ波のように優しく押しては引いていく。何度かの記憶のチラつきで、俺は完全に記憶を取り戻した。 「ふぉ()い、ふぉ()ふぉ()()()い」 言って、ようやく妻が唇を放す。 「おい今の、下手したら窒息で死んでいたぞ。殺人未遂じゃないのか?」 「それじゃ私は夢の中で殺人者ってことね。自首しようかしら? クスクス」  王城先生が去り際のドア越しにボソっと呟いて、去っていった。  ドンドンと、今度は遠慮なく胸を叩かれ続ける。痛くはないが、驚き続けるような振動でやめさせたい。 「心臓に悪いから、せめて回数を予告してくれないか?」 「無理」  ええ……そんな横暴な。諦めながら叩かれ終えるのを待っていると、泣き晴らしたような両目が俺を見つめる。泣いて笑って泣いて、忙しい奴だ。 「愛してる」絶対に言われそうな気がしたから、先に言う。 「愛しとう」ほら言った。予想が的中しすぎて、面白すぎる。 「あはははははははは」笑いながら、俺はこっそりと布団の中で膝上に手を添えた。 「それズルない? 蹴られへんし、正座もさせられへんやん」 「ずっと言おうと思ってたんだけど、それは愛なのか? ツッコミなのか? それとも脊髄反射か?」俺の言葉に妻は「全部やアホ」とクスクス笑う。 「そういや、新居は浦安さんに設計お願いして、おっさんに建ててもらうことになった。佳苗ちゃんに報告したら、いつかおじいさんと一緒に遊びに来るって。あと、あきらくん宛てにお見舞いの品届いとるで」 「それはまた、賑やかになりそうだな。で、お見舞いって誰から?」  聞く俺に、妻はどう答えていいかわからないといった様子を見せる。そしてベッド横にある色とりどりの花が添えられた花瓶が置かれた机の奥から、段ボールを取り出した。それを俺のお腹の上にポンと置く。  送り主の欄には、『銀白』と二文字だけ記載されている。なんというか達筆を通り越して凄まじい文字の書き方だった。 「開けていいのか?」と妻に聞くと、「開けな寂しがられるかもしれへんで」と返事をされる。段ボールに手を添えて力を込めるも、さすがに握力がまだ戻っていないようで、開けるのを手伝ってもらった。  中にはこれでもかと言わんばかりの、沢山のいちごが入っている。うん。これは普通段ボールじゃなくて他の配達方法で頼むものだ。送り主は人間の常識を知らないらしい。  口をポカンと開けたままの妻に、いちごを一粒取り出して放り込んだ。 いつか大福を放り込まれたことを思いだしたのか、「二度とゲテモノ料理は作らへんから、安心してな?」と念を押される。「そりゃ、この世で一番安心できる」と俺は笑う。妻も笑う。  開け放たれた病室の窓から、そよ風が入り込む。それは、いつか俺が一生懸命生きようともがいていた時に背中を押してくれた、守り神達の祝福のような気がした。  俺はいつかの謝罪を、言い直そうと思う。ごめんなさいとは正反対の言葉を。  ここまで見守ってくれて、ありがとう。
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