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「今のうちに逃げよう! とにかくここを離れるの!」
朱鷺の少女に促され、ヤエは震えた足で立ち上がり、二人と共に南方へと身体を向ける。
その直後だ。
『ぁ、あああ、ああぁぁあっあああ……』
突然、炎の龍が苦しそうに呻き声を上げた。一心不乱に頭部分を大きく左右に振り回している。
──ヤエは、見てしまった。龍の中で、リュウキが今までにないほどの悲痛な表情を浮かべているのを。
大口を開け、何かを叫んでいるようだった。
「リュウキ様……?」
両手で頭を抱え、痙攣するように彼は震えていた。リュウキの動きと連動するように、炎の龍も暴れる。
口部分だけでなく、龍の全身からも火が飛び散った。シュキ城の壁や柱にも次々と燃え移り、メキメキと音を立てて崩れ始める。
「まずい、城が倒壊する」
呟きながらハクは片手でヤエを抱き上げる。人間では決して不可能な速度で走り始めた。
「ハクさん、気をつけて!」
「分かってる。お前は出来るだけ高く飛べ」
「うん……!」
朱鷺の少女は風を切り、上空へと飛んでいく。
炎の龍は、何かを狙って火を噴いているわけではない。我を失って目的もなく暴れているだけ。
おぞましい光景を前に、ヤエは冷や汗を流す。ハクの身体に身を寄せた。
「しっかり捕まってろ、ヤエ!」
ハクの言葉に答えようとした、その時だった。
どん、と鈍音が辺り一面に響き渡った。耳の鼓膜がとんでもないほどに刺激を受ける。
見ると──燃え盛るシュキ城の大部分が倒壊していたのだ。象徴的だった銅像も真っ二つに割れ、埃を放ちながら地に沈んでいった。連鎖するように、柱が折れ、あっという間に城の殆どが崩れ落ちていく。
建物の破片が勢いよく飛んでくるが、ハクがヤエの盾となった。
「く……!」
苦しそうな声を漏らしながら、ハクは決して立ち止まらない。
「悪いなヤエ。俺もどうすればいいか分からないんだ」
「え……?」
「あの炎を鎮めるには氷の力が鍵になる。だけど暴れ回る龍に近づくことも出来ねえ」
ハクは眉間に皺を寄せる。
「俺は所詮、化け物の白虎だ。深く考えられる頭がない。シュウの知恵を借りたいが、あいつが来るまでに持ちこたえられるかどうか……」
苦虫をかみつぶしたような顔をしながら、ハクは珍しく弱音を吐いた。
右肩を失っても尚も守ろうとしてくれるハクに、ヤエは胸が痛くなる。
「ごめんね……ハク」
「あ?」
「私はいつも守られてばかり。あなたは身体が負傷しても、戦い続けているのに」
「ヤエは守られる立場でいていいんだぞ」
「だけど、それだけじゃだめなの。私の氷の力が必要なら、覚悟を決めてる。何も恐くないよ」
ヤエのその一言に、ハクは目を見開いた。
彼の身からおもむろに離れていく。氷の盾をしっかりと手に持ち、飛び散る火の玉から身を守った。躊躇することなく、ヤエは炎の龍に向かって走って行く。
リュウキを助ける為に。
「ヤエ、何をしている! やめろ、離れろ!」
背後からハクの焦る声が響く。それでも一切立ち止まることはしなかった。
咆哮し続ける龍の前に立ち塞がり、ヤエは口を開いた。
「リュウキ様、お願い、もうやめて! このままではあなたの炎で全てが焼き尽くされてしまいます」
声の限り叫んだ。
しかし、炎の龍は相変わらず狂ったように火を噴いては暴れている。龍の中に閉じ籠もっているリュウキは、今ももがいているのだ。
「リュウキ様、私の声が聞こえますか? 目を覚まして下さい。地を荒らしてはなりません。人々を燃やしてはなりません。このままでは、あなたは誠に世の元凶になってしまいます……!」
ヤエの悲痛な叫びは、火の玉が地に打ち付けられる爆撃音でほぼかき消されてしまう。
しかしこの折──突如として、炎の龍の動きが止まった。
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