第一章・失われたもの

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 口角を上げつつも、リュウキの目は一切笑っていない。  腕が小刻みに震えるほどの力で、拳を握り続けた。  燃え上がる炎は地を這っていくように、氷の少女と白虎の周りを囲み始める。 「君は後悔する羽目になるよ」  嫌味を放った直後、リュウキは自らの姿を白虎の前から消し去った。  瞳孔を開き、爪を立てながら白虎は氷を守る姿勢を決して崩さない。  瞬刻もしないうちに、炎の中からリュウキは再び姿を見せた。白虎の背後に忍び寄り、目にも止まらぬ速さで炎の拳が白虎の背中を掠める。同時に、白虎の毛皮が小さく炎に包まれた。  自らの身体に起きた異常に気づいたのだろう、白虎は低く唸り声を上げた。 「大丈夫、殺しはしないよ。そういう趣味はないからね。ただ、少し意地悪するだけだ。……君が僕にしたことと同じように」  リュウキの炎は白虎の周辺を舞うように回転し始める。まるで生きているかの如く。  炎の勢いは更に強まり、やがて背後の氷にまで燃え移っていくのだ。間髪いれずに、氷が蒸発音を上げて変形を始めた。汗を流すように液状のものが次々と地に滴り落ち、そして炎に包まれて消えていく。  リュウキは怒りの矛先しか見ていなかった。氷に起きている変化など気にも留めない。ひたすら怒り狂って炎を操る。   「君、辛抱強いねぇ。熱いだろ? まあ、死ぬほどの高温ではないんだけど」  低く笑うリュウキの声は、まるで悪しき賊のようだ。  リュウキが拳を振り回す度、それに合わせて白虎に群がる炎も渦を描く。  苦しそうに踠く白虎だが、一切の大火傷を負わない。毛の表面だけが熱を帯びているだけだ。 「さあ、仕返しだよ」  リュウキが右腕を掲げた時、炎は閃光を放って肥大化した。刹那、背後の氷の塊がメキメキと音を響かせ、熱と共に割れていった。  ──炎の向こう側で汗を流すリュウキの目の中に、僅かに氷の少女の姿が映る。    少女を捕らえていた氷がみるみる溶けてなくなっていく。水蒸気になり、水分となって滴り落ち、分厚い氷の壁が少女を解放した。  彼女の瞳が動き始め、呼吸が復活しているのを微かに感じた。熱さと、眩しさが少女の瞳孔を刺激しているようだ。   リュウキは、その光景を見て目を見張る。意識が少女の方に向いたのを機に、炎の地獄から憎き相手を手放した。   炎が完全に消え去っても、白虎はリュウキに睨み続けるのみで衰弱した様子はない。   「……ここ数日前に知ったんだけどね、僕の怒りの炎は、とんでもない力を持っているんだよ。凄いよねぇ」  自らの特異能力に感心していると、突如白虎の背後から影が現れた。  ──あの、氷の少女だ。か細い指で長剣を構え、リュウキに狙いを定めていた。その表情は「無」に支配されていて、しかしどこか怒りが滲み出る瞳は美しい。  思わずリュウキは息を呑む。自らの生命を狙う剣に恐怖を感じたわけではない。凍りついていた少女が息を引き返し、動いている姿目にただただ感動しているのだ。   「……ハクを傷つけないで!」   掠れた声でありながらも、彼女はリュウキに向かってそう叫んだ。  声も可愛い。  リュウキは呑気にそう思った。    自分が見惚れられていることなど知る由もなく、彼女は剣を向けてくる。そして躊躇なく刃を振りかざした。放たれた武器はそのままリュウキの胸元へ飛び掛かっていき──   「おう、危ないなぁ」    リュウキはいとも簡単に少女からの攻撃を躱してみせる。  素早いリュウキの動きに苛ついたように、少女はもう一度態勢を整えた。それを見て、リュウキは地を踏みしめ再び拳に火を纏う。 「無駄だよ、いくら剣を振っても僕には当たらない。体力が勿体ないからしまいなよ」  わざとらしく笑ってみせる。  寒さからだろうか、それとも混乱や怒り、複雑な感情が溢れているのだろうか、彼女の手は微かに震えていた。 「仕方がないな……」  返事もしない少女を眺めながら、リュウキは右腕を掲げる。全身から火が吹き出し、その周辺は瞬く間に熱を帯びていった。  この異様な光景に少女は目を見開く。彼女の隣で白い毛を逆立てながら、白虎は震えていた。 「大丈夫よ、ハク」  優しく囁くと、少女はもう一度長剣を力強く握り締める。  尚も攻撃を止めようとしない少女に少なからず呆れるが、リュウキは全身の筋力と最大限の反射神経を使って彼女たちの前から姿を眩ませた。 「消えた……?」  少女は周りを見回している。程なくして背後に「標的」の気配を感じ取ったようだ。  しかし、リュウキの早さには敵わない。  少女の両腕をグッと押さえつけ、全身を強い力で固める。真後ろから、リュウキは氷の少女の動きを封じ込めたのだった。
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