楽しい時間を盗む時間泥棒

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楽しい時間を盗む時間泥棒

 僕は時間泥棒だ。  よく人間は無駄な時間を過ごす、とかそれに気を取られて時間が過ぎてしまったことについて時間泥棒という言葉を使うけれど、そういう話ではない。  僕はその人の時間を奪って自分のものにすることができる。もっとわかりやすく、簡単に言って仕舞えば、その人の記憶とその時の感情を奪えるのだ。  おいしいものを食べる時に感じる喜び。楽しいゲームで遊ぶ時の楽しみ。僕はたくさんの時間を大勢の人から奪った。  もちろんみんなは気づかない。 「あれ、もうこんな時間」 「美味しいものはすぐなくなるなあ」 「寂しいけどまたね! ばいばい!」  などと言ってまた元の日常に戻っていく。時間泥棒である僕だけがみんなの楽しみを知っているのだ。  僕は奪って奪って奪い続けた。老人からはたくさん奪った。ボケていると思われて気づかれないからだ。カップルからもたくさん奪った。ちょっとくらい良いじゃないか、幸せなんだから。  たまにそれらを取り出して、その楽しみに浸るのが僕の現在の趣味だ。  そんな話を名前も知らない目の前の男にした。男は大層悲しそうな顔をして、「君は可哀想な人だ」と言った。  彼はどうやら楽しみを奪われた人に同情しているらしい。まあそれもそうだろう、と納得する。本当の楽しい時間を知らないのだから。  男は僕に尋ねる。 「君の趣味はなんだ?」 「そりゃあもちろん、楽しい時間を盗むことさ!」 「君の友人はどんな人だ?」 「え?」 「君の好きな人はどんな人だった?」 「……」 「君はどんな苦労をしたことがある?」 「う、」 「もう一度聞こう、君自身の趣味はなんだ?」  彼がかわいそう、と言ったのは他でもない僕のことだった。時間泥棒を始めてから、僕が持っているのは全て『幸福な、他人の記憶』だった。自分がなんと呼ばれていたのかもわからない。  そもそも、僕というのは本当に僕の一人称だっただろうか? 「きっと君は、私のことも覚えていないのだろう、他人の記憶に溺れて。君は、やっぱり可哀想な人だ」  男が去った後、僕は僕の記憶を探す。他人の記憶は全て捨てた。残ったのは。幼馴染の少年との結婚の誓いと、母と父の笑顔、大学受験での挫折。残ったのはそれだけだった。あとはその他大勢の楽しい記憶に紛れて、虫に食い散らかされたみたいにボロボロになっていた。  一番時間を盗まれていたのは盗んでいたはずの『僕』だったのだ。  自分の家に帰って鏡を見る。  見知らぬ女が、泣いていた。
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