孤独な熱帯魚

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 頭の上がらない夫婦生活。  俺はこれから、良き夫、良き父親を演じていくのだろう。  何か言い返す度に、喧嘩する度に、俺と蘭の過ちを取り出してくる。  女はどれだけ月日が経っても、嫌な事は憶えていて、取り出した瞬間にその時の感情まで思い出す。  これはやり直しなどではない。  俺への仕返しだ。  一生を賭けた葵の復讐。  これから俺と葵が歩く人生の主役は、永遠に葵で俺ではない。  蘭と過ごした日々を胸に、女々しく生きていく自分の姿が簡単に想像できて吐き気がした。 ──俺があの熱帯魚になるのか?  水槽の中で、産卵する水草を用意され、温度も管理され、餌も与えられる。  そして群れで泳ぐのだ。  優しく気の付く夫、子供とよく遊ぶパパ、仕事は熱心に、休暇は積極的に──目の前の葵と千里の為に。   ──蘭も一生演じていくのか?良き妻、良き母親を。  胸が詰まり涙が滲んだ。 「海君、泣かないで?私は許しているんだから。3人で幸せになろ?」  勝ち誇った葵の甘い声が、俺に絡みついて呪縛する。  いいさ、今は。  葵の思うようにすればいい。  熱帯魚が泳ぐ蘭の部屋で、俺は俺になって愛しい人を搔き抱いた。  一度人生の主役を味わえば、簡単には忘れられない。  男という(さが)を捨てない限りは。  
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