アイネクライネを盗んで

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 私がこの高校に転校してきて、一週間が過ぎました。クラスのみんなはとても良い人たちでした。私が困っているとすぐに誰ともなく手助けをしてくれる素敵な仲間たちでした。  なのに。  あの人はまるでこの教室にいないものとして扱われていました。この世にいない者なのかと勘違いするぐらい無視されていました。誰もあの人に話しかけないのはもちろん、挨拶をすることもありませんでした。生徒だけでなく先生もあの人をいないものとして扱っていました。出席も取らないし、授業中あの人がなにをしていてもとがめられることもありませんでした。プリントもあの人の分は用意されていませんし、それを誰かが指摘することもありませんでした。あの人は授業中に教科書やノートを出すこともなく、ただずっとイヤホンで音楽を聴きながら伏し目がちに座っているのでした。  私は教室にいる時はなにをしている時でもあの人のことを意識するようになっていました。一番の理由は、あの人が善か悪かを早くジャッジしたいと思っていたからです。どうしようもない悪なら心置きなく無視できるし、善なら……とここまで考えて、私は中学の時のことを思い出しました。  あれはアメリカから日本に引っ越し、中学に入ってしばらくたった時のことでした。クラスの中で行き過ぎた悪ふざけがありました。いじめというには子供じみた、しかし、確実に集団が個人を傷つける行為がありました。私はアメリカで培ったヒーローイズムでその騒動に割って入りました。アメリカでは正義が強さでしたが、まさか強すぎる正義が日本の集団意識に馴染まないとはツユほども思っていませんでした。  帰国子女だから多少のKYは仕方ないよねということで仲間はずれは免れましたが、それ以来、私は自分の中に流れるお節介の血を沸き立たせる場面には慎重に行動するようになりました。  郷に入りては郷に従え。出る杭は打たれるなんて苦虫喰らえと思う時もありましたが、後から、強く当たられていた子が前々から大人しい女子に横柄な態度で暴言を吐くやつだと知って、自分の正義があまり絶対的でないことを思い知らされたのでした。 (曇りなき眼で真実を見極める)  私は窓の外を見るふりをしながら、目の端っこであの人の姿を見ていました。  少し開いた窓から優しく吹き込んでくる風に、あの人の髪が揺れていました。意外に大きな瞳。まつ毛も長い。なんだあの色気は。私はあの人の外見に魅力を感じるようになっていました。なぜこんなイケメンがこんな扱いを受けているのか。中身が超クズなのか。それについて調べようかとも考えましたが、あの人のことを話せる雰囲気というか、話すための取っ掛かりすらまるで見つけることができませんでした。  すごいスピードでクラスに馴染んでいく私は、それでも、みんなと同じようにあの人を無視しようとはどうしても思えませんでした。
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