アイネクライネを盗んで

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 うわ! 身の危険! と思いましたが、君嶋君はそれ以上イヤらしいことをしてくることもなく、ただ、熱いハグをしてくるのでした。  ハグをすると君嶋君の体温の低さを感じました。泣くことにエネルギーを使いすぎているのかもしれない。私はそんなことを考えながら、少しでも私の体温を分けられたらと君嶋君の熱いハグに応えました。  君島君は泣き続けて、あたりはすっかり夜になって、学校からひと気が感じられなくなったころ、ようやく君嶋君がハグしていた両腕の力を緩めました。 「あ、落ち着いた? 君島君」  私がそう話しかけると君嶋君は、親しくない女子と密着していることが急激に恥ずかしくなったのか、私からバッと離れ、恥ずかしそうにモジモジするのでした。 「もう君島君は私に逆らえないよね。あんなみっともない泣き顔を見られたんだから」  私は冗談まじりに君嶋君に微笑みかけました。君嶋君は恥ずかしそうに歯を食いしばってうつ向くばかりでした。 「お、お前は、名前、なんて言うんだ」 「あー!」  私は君嶋君を指差しました。 「女子をお前って呼ぶ男子はダメなんだぞ」 「だから、お前の、その、あなたの名前を教えてもらえれば、それで呼ぶ、から……」  名前を聞くのがそんなに恥ずかしい事か。私はなんだか君嶋君が可愛く思えてきました。 「私の名前は『源 穂奈美』。みんな“ほなみ”って呼んでくれる?」 「じゃ、じゃあ……」  今度は名前を呼ぶのがそんなに恥ずかしいか。私はますます君島君が可愛く思えてきました。 「ほ、穂奈美」 「なに? 翔」 「え、あ、翔!」  この調子だと私が君嶋君を下の名前で呼んだ時、面白いことになるだろうなと思ったので呼んでみたらその通りでした。君嶋君は体がブリキになったみたいにカクカクとした動きになりました。バンザイなのか、ガッツポーズなのか、君嶋君の硬直した体が喜びを表現したいと必死に動いているのがわかりました。 「なにがそんなに嬉しいの? 翔」  私は調子に乗って、また名前を呼びました。 「いや、俺、名前を呼ばれたことなくて。生まれてこの方」 「え? いや、まさか、一度ぐらいはあるでしょ?」 「ほ、本当に一度もない」 「家族には?」
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