漕艇絵巻

2/3
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
翌日の学校の昼休み、私は知らない男子生徒から声をかけられました。この世に生を受けて十五年、男子という生き物と接する機会をほぼ持たぬまま生きて参りましたので、何奴!と警戒いたしましたが、上履きの色から三年生だと認識できたので「はい、何でございましょうか?」と恭しく対応したのでございます。 「昨日の夜、川の橋の上にいた人だよね?」見知らぬ男子からの突然の直球質問に、さすがの私も答えに屈してしまいます。此奴、どこで拙者の黒歴史を見物していたのか?拙者の後を学校からつけ狙って来たモノノケの類か!? 「いや、俺ボート部なんだけどさ。昨日の夜は川で練習してて、それで常盤橋を通った時に、下から君が見えたんだよね。ばっちり目が合ったから憶えてたんだ。制服もうちの高校のぽかったし。それで今日君を見かけたから、声かけてみたんだ」 「あ、そうだったんですね。ボート…そう言えばお見かけしました」夜の化け物から私を救ってくれたあの白い鳥。あの白いボートに乗っていた人だったのか。あのときはキャップを被られていたから、全体を認識できなかった。私はもう一度きちんと男子生徒の目を見る。そう言えば、この目だった。この栗色の真っ直ぐな目だった。 「もしかしてさ、死のうとしてた?」男子生徒はまた真っ直ぐ私を見て、ど直球な質問を投げかけられました。あまりにも見事なストレートにバットを振ることすら躊躇うレベルでした。この人はもう少しオブラートに包むということができないのでしょうか。 「びっくりするぐらい手すりから身を乗り出してからさ。もうちょっとで落ちそうだったし。心配だったけど、こっちもボートの調子が良い感じだったから、止まる訳にも行かないし。そしたら今日学校にちゃんといたから、安心したよ」  私はただ愛想良く微笑みながら「はい…」としか返事ができません。そしたら急に男子生徒が私の両肩を掴んだのです。がっしりとした手で力強く掴まれて、身動きができません。此奴!やはりモノノケの類か!! 「ボート部に入らないか?」 「へ?」 「いやだから、ボート一緒にやらない?」 「ボート?」 「一回死のうとしたんでしょ?じゃあ生まれ変わったと思って、新しいこと始めようぜ」  このとき私の頭に浮かんだのは、鳥のように水面を軽やかに進む白いボートの姿。私を光の世界に呼び戻してくれた白い鳥のごときボートの姿でした。あのように飛べたら、水面を進むことができたら、私も光の世界を謳歌することができるのでしょうか? 「君、身長170近くあるよね?しかも足長いし。細いけど骨格もしっかりしてるから、ボートに向いてるよ!中学は何部だった?」「バスケ部でした」 「バスケ?最高じゃん!いいか、ボートは足を使って進むんだ。手じゃない。足で板を押す力をオールに伝えるんだ。地面を蹴ってジャンプする力があればあるほど、ボートは速く進むんだ。しかも身長があれば更に有利になる。もう君、最高だよ。ボートやるために生まれてきたようなもん。とりあえずさ、今日の放課後空いている?」私が頷くと、「じゃあ体操着持って校門前で待ってて。一度ボートに乗らせてあげるよ。体験入部。それで正式に入るかは決めればいいから」  男子生徒はそう言って、私の肩から手を離し廊下を走っていきました。遠くに小さく見える後ろ姿は、昨日の白い鳥の姿と重なります。昼休みが終わるチャイムが鳴ったのを合図に私は歩き始めました。パンを買いに行く途中でしたが、諦めて教室に戻ったのでした。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!