第二章 美月帝国

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第二章 美月帝国

「あなたね、もっとスピード出せないの?」 「いや、無理ですって!法定スピードギリギリなんですから!」 「道ガラガラなんだから、もっと飛ばしなさいよ」 「そうは言っても、どこに白バイいるかわからないんですから、勘弁してくださいよ!美月さん有名人だから、白バイに見つかったら会社の名前に傷がついちゃいます」 「ったく、面倒くさいわね」  美月と遥香は二人で車を走らせていた。と言っても運転手は秘書の遥香の役割で、社長の美月は助手席に座って遥香の運転に文句を言ったりパソコンで仕事をしたりしていた。 「それで、いきなり北海道に来てレンタカー借りて、言われた道を走らせてますけど、この先に何があるんですか?」遥香は美月に質問する。 「宝石」美月は一言だけ答えた。 「もう宝石なんて腐るほど持ってるじゃないですか!」遥香は秘書としてオフィスや家のプライベート空間を管理していた。だから美月の豪華な宝石コレクションの存在も知っている。全く価値の分からない遥香にも、どれだけ凄まじく高価なものが集まっているか直感的にわからせてくれるコレクションだった。赤くて大きなダイヤモンドを巡って国が戦争する映画を昔見たことがある。その映画に出てくるレッドダイヤよりも大きな赤いダイヤモンドを幾つも美月は持っていた。 「これまでの宝石とは違うのよ!ダイヤでも真珠でもない、誰も見たことがない石なの!私は何としてもそれを手にいれたいのよ!黙って走らせて!」  それを聞いて遥香は諦めて運転に集中した。目の前には一本道が続いている。道の周りはなだらかな丘陵地が続いている。いかにも北海道という風景だった。  美月は本名を「山岡美月」と言った。彼女が全国的に有名になったのは、20代前半の若さで地方銀行の取締役に就任してからだった。祖父がその銀行の相談役だったのがきっかけだった。彼女が経営に携わるようになり、最初に推し進めたのは社員の服装改革だった。それまで総合職の社員にはスーツ着用、エリア職の女性社員には古臭い制服着用を義務付けていた。彼女はその義務を取り払い、全員にジーンズを履くよう命じた。ジーンズを履きさえすれば、他は何を着てもよかった。もちろん古い体質がこびりついた地方銀行だったから、最初は内外から多くの反発があった。ただしばらくすると、この服装革命は大きな成果をもたらした。行員がジーンズ姿になることで、古びた昭和の雰囲気が一層された。ジーンズを履いた行員たちは心が若返り、イキイキと仕事をするようになった。それに伴い銀行のサービスは格段に良くなり、新規融資案件や新規口座開設数が急増する。あのジーンズを履いて働きたいという若者も増え、遅れていたデジタル改革もどんどん推し進められた。気づくと彼女が来てから二年も絶たぬうちに、都市銀行をも脅かす存在になっていた。大学生が就職したい会社ランキングでも上位をキープするようになり、古びた地方銀行は日本を代表する大銀行へと成長した。彼女が行ったこの革命を、ジーンズの色から「青の革命」と人々は呼んだ。経済関連のメディアはこぞって彼女の特集を組んだ。とても綺麗な目を持つ女性革命家「山岡美月」…彼女はこの時代のカリスマになっていた。  一方の遥香は本名を「榎本遥香」と言った。時代のカリスマになっていた「山岡美月」に憧れて美月の会社に入社し、最初は広報課に所属した。社内活性化を目的とした社内広報の編集業務に携わっていたのだが、その中で写真や文字ばかりで読みづらいと感じていた社内広報誌に、遥香は思いつきでイラストを載せた。銀行をイメージしたオリジナルキャラクターで素人にしてはクオリティが高く、もっと描いてほしいという社内アンケートの回答が多数寄せられた。そんなとき、朝会社に行くと遥香の席に見たこともない美しい女性が座っていた。 「これ描いたのあなた?」そう言った女性こそ美月だった。 「とても素晴らしいわ」と美月は遥香をほめたたえた。「ありがとうございます!」遥香は憧れの美月に褒められて舞い上がり、ただ深々と頭を下げた。 「あなたのこととても気に入った。来月から私の秘書になりなさい」美月は遥香の両手をそっと掴んで、遥香の耳元でそう囁いた。「はい…」としか遥香は答えることができなかった。それ以来、遥香は美月の専属秘書をしていた。美月が行くところ全てに付き添った。いつ何を言い出すかわからない美月に翻弄されながらも遥香はとても充実していた。それだけ美月に心酔していたのだろう。だから今もこうして言われるがまま北海道の一本道を車で走らせている。  そんなとき、バス停のベンチに座っている二人の男女が見えた。これは七海と酒井のことだったが、美月たちはまだ名前も知らない。 「あの子が持っているスーツケース素敵ね…あれ、ほしいわ!」急に美月が叫んだ。なんと七海が持っていた茶色の革のスーツケースが欲しいというのだ。 「いやいや、急に何言ってるんですか?」遥香は最高の困った顔をした。すでに車は七海たちを追い越し前に進んでしまっている。 「あんなシックな革とデザイン見たことない…ちょっと、車そこに止めて!あの子にそのスーツケースを譲ってくれませんか?お金ならいくらでも払うって言ってきて!無理ならメーカーとブランドを突き止めるのよ!」 「ええ~!」そう言いながらも遥香は脇道に車を止める。バス停の方を見ると、ちょうどバスが到着し、七海と酒井が乗り込むところだった。バスは扉を閉め、発車した。 「あのバスを追って!そしてあのスーツケースを手に入れるのよ!」美月は叫んだ。 「もう~いつも急なんだから!」ぶつくさ言いながら遥香はアクセルを踏んだ。美月たちの車は、ぴったり七海たちのバスの後を追いかけた。美月は欲しいものは何でも手に入れたい性分なのだ。そのリストに七海のスーツケースが加わった。
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