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イケメン近衛騎士、アラン様
お客さんの服を見ないようにしつつ、めまぐるしく働いていると、あっという間にお昼のピークは過ぎていった。
あとは常連さんの相手をまったりしながら、夜の仕込みを手伝う。
そんな時間に、彼はやって来た。
「まだ、いいか」
「はい喜んで!」
私の大きな声に一瞬面食らったようにしながらも、いつもの席に陣取る彼は、アラン様。王宮の若き近衛騎士団長様だ。
近衛騎士の宿舎は王宮の敷地内にある。本来なら食事もそこで出されるらしいんだけど、アラン様はちょくちょくうちにやってくる。なんでも、訓練に熱が入りすぎて、食事の時間を過ぎてしまうんだそうだ。
年齢は二十代半ば。近衛の入隊条件で身長は一七五センチ以上と決まっているらしいけど、アラン様は多分一八〇以上ある。
黒い短髪は艶やか。切れ長の涼やかな目元。鍛え上げられた胸板や四肢の筋肉から放たれる雄み。前世だったらハイブランドのモデルさんをやっててもおかしくない。もてそうな容姿なのに、眼光が鋭いせいで、ちょっと近寄りがたい。
実はお店のお客さんも、アラン様が来るとちょっと緊張するって人もいる。たぶんあれだ。中学生が、なんにも悪いことしてないのに街で厳しい先生を見かけると落ち着かなくなるあの感じ。
「兄ちゃん、今日もクソつまんなさそうなツラしてんなあ」
なにしろワインが水変わりだから、中には飲みすぎてしまう人もいる。ついご機嫌になってしまったんだろう。そんなふうに絡んでいく人がいた。
まあたしかに、アラン様はいつも深刻な問題を抱えているような顔をしているけど。
「騎士さんなんだから、それでいいじゃないですか?」
飲食店最大の厄介事〈お客様同士の小競り合い〉を避けるため、私はフォローに入った。私が見た目通りの小娘だったなら尻込みしたかもしれないけれど、実際には人生二度目
の中年である。こんなの、お安いご用だ。
「へらへらしてたらお仕事になりませんもん」
そう、中年だからこそ知っている。
「男は、愛想なんかなくても仕事熱心なのが一番です!」
若い頃「着物男子」なんつって雑誌に載ってちやほやされてしまった兄が、バブル崩壊の前になんと無力だったことか。
そこへいくとアラン様は、こうして訓練で食事を忘れてしまうほどなのだ。団長なんて肩書きがついて、しかも元々地方の由緒正しいお家柄の方だというのに、驕ることなく日々鍛錬しているなんて、一徹な証拠だろう。
立派すぎて、私はアラン様が来るとついいつも盛りを多めにしてしまう。いっぱいお食べ。
「お待たせしました。どうぞー」
「――ああ、ありがとう」
ほら、無愛想だけど、お礼はちゃんと言える子だ。うん、充分充分。
アラン様はさっそくパンをちぎって煮込みに浸す、その美しい指先に、私はついつい見とれた。現世基準で言ったらちょっとお行儀の悪いそんな行為も美しく見えるんだから、美形は得だ。
王宮の騎士様に対してちょっと不敬なことを考えていたことが、伝わってしまったんだろうか。アラン様が面を上げた。
ごまかすつもりで、にこっと微笑みかける。
アラン様は、ついっと顔を背けた。
やば、馴れ馴れしすぎたか。
私は庶民、相手は王宮務めの選ばれたエリート。
だけど私はついそのことを忘れてしまう。中身がアラフィフのせいで「近寄りがたい美形キター」というよりは「頑張ってる若者が来たのう」という目で見てしまうのだ。実際、前世で早い内に結婚出産してたら、息子でもおかしくないくらいの歳なわけだし。
私が青ざめていると、アラン様はワインに手を伸ばした。手元が狂ったらしく、ばしゃっとこぼしてしまう。
「大変……! マスター、お塩を!!」
私はマスターからお塩を受け取ると、アラン様の足下に跪いた。ズボンに広がった赤いしみの上に、塩を盛る。
現世でお針子をやっていたとき、お直しや洗い替えも請け負っていたから、そのときいろいろなしみ抜き方法も習得した。これはまだ乾いていないうちにワインを塩に吸わせる応急処置の一つだ。
私はしみの広がるアラン様の太腿に、ぐい、ぐいと塩をすりこんでいく。
「お、おい」
「大丈夫、任せてください!」
前にも言った通り、この世界で布は貴重品だ。近衛兵さんが身につけるようなものともなればなおさらだし、王宮勤めの方がしみのついた服なんて、様にならない。さっき馴れ馴れしく微笑みかけてしまった詫びの気持ちもある。
このしみ、可能な限り落としてみせる。(職人の目)
「おい……」
塩が充分にワインを吸ったところで取り除き、濡らした布巾でアラン様の腿をとんとん、とんとん、と叩いていく。
「もう、そのあたりで――」
和裁士魂に火がついてしまった私は、アラン様の声がなんだか震えていることにも気がつかずに、アラン様の足の間でとんとん、とんとんし続けたのだった。
「よし、だいぶ目立たなくなった」
完全にってわけにはいかないけど、これでだいぶいいはずだ。
「宿舎に帰ったらすぐお洗濯に出してくださいね!」
王宮にはいい洗濯人さんがいるだろうけど、しみはスピードが命だ。子供相手にいい含めるような口調で告げてから、私はマスターと奥さんの視線に気がついた。
「ローズ……」
マスターはため息までついている。
ため息? なんで?
疑問に思って頭をめぐらすと、アラン様も俯いて額を押さえている。
その耳は真っ赤だ。
はっ。
これは。
アラン様、――怒ってる……!?
私ったら、また中年力を発揮して、王宮勤めの方に馴れ馴れしくしてしまった。
どうしよう。近衛騎士の方々はこの店の上客なのに。アラン様の口から「あそこの娘は馴れ馴れしすぎる。不敬だ」なんて噂が広まって、来てもらえなくなったら。それでお店の経営が傾いたりしたら……。
「住職近接、賄い付き、人間関係良好」の優良な職場があ……!!!
「も、申し訳ありません、アラン様。私、いい生地についたしみがほおっておけない性分で。どうしても落としたくなってしまって。他意はないんです。これっぽっちも!!」
私は必死で言い募り、アラン様は面を上げる。
「――これっぽっちも?」
「ええ、まったく!! こう、なんと言いますか、子供の世話をする母のような気持ちで、つい!!」
けしてアラン様のような高貴な方を自分と同列に扱ってる訳ではなくて――ってことが伝わるように、一生懸命たとえをひねり出したのに、アラン様の顔は険しさを増した。
美形がすっと目を細めると、背筋が凍るような迫力が生じる。
やばい、なんで。
背後ではなぜかマスターが「ぶっ」と吹き出して、奥さんにはたかれている。
「ローズ、買い出しに行ってきて。今日は夜の分が足りなくなりそうなの」
奥さんが出してくれた助け船に、私は「はい喜んで!」と返事して、買い物用のかごをひっつかんだ。
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