お針子仕事、イヤ、絶対

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お針子仕事、イヤ、絶対

 そんなふうにして、こっちの世界で暮らし始めた私。  異世界転生って、悪女とか聖女とか、なんかそういうものに生まれ変わるものだと思っていたから、その点はちょっと不満を覚えなかったわけではない。    でも、よくよく考えてみれば、そういう主役級の人の人生は、浮き沈みあってなんだか大変そうじゃない?  浮き沈みは、前世でもうこりごりだ。  幸い、店のマスターと奥さんは、私のことをまるで実の子供のように可愛がってくれている。なんでも、そもそも「ローズ」には身寄りがないらしい。うーん、面倒な係累無し。最高。  そして、家業がレストランというのもいい。 だって、食はどんな時代になっても絶対に人間に必要なものだ。着物のように、景気が悪くなったら見向きもされなくなるものじゃない。 マスターは、この辺りに王宮がよそから移ってくるという噂を聞きつけて、誰よりも早くレストランを始めたのだという。おかげで大変繁盛している。うーん、商才のある男、最高。 当然まかないも美味しいし。(これ重要) そして、毎朝実感するのが、十七歳の体の軽さというわけ。 お針子仕事と簡単な事務しか知らなかった私に、ウエイトレスが務まるか、始めは心配だった。 だって、一人で地道にちくちくちくちく縫い物をするお針子とは、真逆の仕事だ。 でも、心配することはなかった。十七歳の若い体は接客のコツをすぐ覚えたし、いろんな人が来るから、会話の端々からこの世界で暮らす上で必要な情報を自然と摂取できるのもいい。 特別な使命を帯びてるわけでもない。 酷い目に遭うわけでもない。 仕事がある。 若くて健康(老眼もまだ出てない!) ご飯が美味しい。 年に何万人異世界に転生してるのかわからないけど、私はかなり当たりのほうではないだろうか。 ベッドから降りて、着替える身のこなしも軽くなろうというものだ。 「っしゃー! 今日ももりもり働くぞー!」 斜陽のお針子なんて前世から解放されて、私はウエイトレスとして生きるのだ!!   着替えて店に降りる。まず掃除をして、それから奥さんと手分けして買い出し。マスターが仕込みの準備をするお手伝い……なんてことをやってると、すぐお昼になって、店はお客さんで賑わうようになる。  レストランと言ったけど、正確にはタベルヌと言って、居酒屋の延長のような、気楽な店だ。  鶏肉とじゃがいものローストしたやつとか、野菜を煮込んだスープだとか、そんなものを出している。 そして真っ昼間からみんなワインを飲む。この都は水が悪いから、らしい。作者がヨーロッパぽさを出そうと一生懸命考えたのだろう。 「ローズちゃん、こっち、もう一杯頼む」 「はーい」 「こっちもだ」 「はい喜んで!」  私の返事に、お客様がみんな笑顔になる。これ、前世の記憶で、なにげに一番役に立っているかもしれない。  この世界、キッチンを持つ家も少ない。だから食事は外食が中心になる。そのおかげでうちはいつでも繁盛だ。 「原作者様々だなあ……」 「ローズちゃん、なんか言ったかい?」 「いーえ、なんでも!」  危ない危ない。また考えてることが口から出ていた。せっかく体がぴちぴちのティーンになったのに、中身はアラフィフ成分が残っているのだ。気をつけねば。  気をつけると言えば……。  私は、声をかけてきた常連さんの洋服のほつれから目を逸らした。  あー、(つくろ)いたい。  いや、だめだだめだ。  私は頭を振って、心に浮かんだ言葉をかき消す。  この世界、一応作者が頑張って十八世紀をベースにしているから、布がとても貴重品なのだ。 当然洋服も貴重。何度もほどいたり、つぎはぎを当てたりして、ぼろぼろになるまで着倒す。既製の洋服屋さんなんてものはない。あるのは古着屋だ。  お店のお客さんにも新品を着ている人なんて稀で、ほとんどの人が古着を着ているのだった。  だからほつれているのが頻繁に目に入ってくる。  それを直してあげたい衝動を、私はずっと無視していた。 だって、裁縫が人よりできるってことがバレたら、きっと頼まれてしまう。またちくちく生活に逆戻りだ。 つらい前世の気持ちを思い出すちまちまとした裁縫を、私はもうやりたくなかった。 でも、染みついた習性は「繕ってあげたい」と囁いてくる。こんな気持ち、転生したときアラフィフの躰と一緒に消えてしまえば良かったのに。 一応、万が一お店が潰れてしまったときのことを考えて(マスターごめん)、こっちのお針子の労働条件を調べてはみた。強制的にやらされていたこととはいえ、唯一の手に職だったからね。 そしたら、こんな感じだった。 勤務時間:朝の八時から夜の十時まで。 給金:8スー。(800円くらいらしい) 蝋燭やアイロンのための燃料代:自分持ち 燃料代を引くと、お針子の手元に残るのは半分くらいらしい。 一日十四時間働いて、よんひゃくえん!!  家族がいたら、パン代だけでなくなってしまう額。社交シーズンになれば、十八時間働くこともあるという。 大丈夫?? こっちの世界でも、一日は二十四時間なはずだけど?? とドンびくほどのブラックぶり。 作者ってば、別にそんなところはリアルに描かなくたっていいのに。 そんなわけで、こっちのお針子さんも前世のお針子さんと同じか、それ以上に劣悪な条件下で働いていた。 たぶん、大きなお店のトップお針子になるとか、貴族のお抱えになったりすればまた話は違ってくるとは思う。 だけど、私ができるのは和裁のみだ。 和裁というのは、直線断ちの直線縫い。(まっすぐ切ってまっすぐ縫うっていうことね)一方、この世界のドレスはなんだかすっごく膨らんでいる。あれどうやってるんだろう。とてもじゃないけど縫えっこない。  この店の常連さんにも、仕立屋のオーナーがいる。どうやらいつも人手不足らしく、それはもう黒々とした見事なクマを目の下に飼っている。 うちの奥さんに「仕事探してる若い子がいたら、いつでも紹介してちょうだい」って言いながら、そのどんよりした目が私を見てるんだよね。 若い方が、寝ずに働かせることができるからだろう。 裁縫ができることをうっかり知られでもしようものなら、しつこく勧誘されてしまうに決まっている。  だから今日も私は全力で、お客さんたちの繕い物をスルーする。  お針子なんて、もう二度とごめんだ。
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