ようじょのエプロンと、アラン様の呼び出し

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ようじょのエプロンと、アラン様の呼び出し

 あー、いけないいけない。反省反省。  体はぴちぴちの十七歳だけど、中身は中年。いろんなところで年齢相応の図々しさが出てしまう。  生粋の十七歳の町娘なら、もっとこう「まあ、王宮近衛騎士の方だわ。神々しくてとても話しかけられない……っ(気絶)」みたいな感じじゃなきゃいけないんだろう。花も恥じらう乙女しぐさ。  それを私ときたらおばちゃん全開で、お股の間にずずいと入ってぽんぽんしてしまった。  そりゃあ怒りもするよね。  ああ、アラン様、これからもお店に来てくれるといいけど。そしてお金を落としてくれるといいけど……  ふう。  ため息をつきながら歩いているうちに、市にたどり着いた。  市は好きだ。この街は王宮のお膝元なだけあって、活気がある。現世の日本はどんどん景気が悪くなってしょぼくれていく一方だったから、こういうところに来ると元気が出る。  さっきまでため息をついていたのに、すぐに機嫌が良くなるのは、そう、感情のアップダウンが激しいアラフィフだからである。    そんな私の足下を、子供の一団がさーっと駆け抜けていって、危うくぶつかりそうになった。 「こら! あんたたち! 危ないだろ? ――どうもすみません」  どこかのお店の女将さんが頭を下げてきて、私は「いいえー、元気があっていいですね」と笑みを返した。現代日本では、子供の集団を見かけるのも稀になっていたから、まごうことなき本心だ。   どうかそのまますくすく大きくなって、ばりばり働いて、もりもり年金で私の老後を支えて欲しい。  ん? そういえばこっちの世界に年金制度ってあるのかな。あとで調べておこう。作者がそこまでちゃんと設定してあるといいけど。  そんなことをつらつら考えながら市をぐるっと回って、買い物を済ませる。  さあ帰りましょう、というところで、女の子がひとり泣きべそをかいているのに遭遇した。  さっきぶつかりそうになった一団のなかにいた、五歳くらいの子だ。  私は女の子の前にしゃがむと、くるくる巻き毛に縁取られた可愛らしい顔をのぞき込んだ。悲しそうに瞳を潤ませているのに、尖らせた唇が可愛いなんて思ってしまう。 「どうしたの? 仲間はずれにでもされちゃった?」  やさしく訊ねると、女の子は首を振った。 「これ……」 「ん?」  女の子が、スカートの上のエプロンを摘まんで見せる。エプロンには、穴があいてしまっていた。  現代日本みたいに、どこでも綺麗で安全な処理が施されているわけじゃない。飛び出た釘かなにかに引っかけてしまったんだろう。元気に飛び回ればこそ、だ。 「母さんに怒られる……」  女の子は、今にも泣き出しそうな様子で呟いた。もしかしてこの子のお母さんは、さっきの女将さんだろうか。たしかにあの様子なら、子供相手でも容赦がなさそうだ。    ちなみに子供がこうしてエプロンを着けているのは、家事をするためではない。  これも布が貴重な時代の特徴で、洋服が汚れてしまわないように着けているのだ。  日本でも、昭和初期にはそういう習慣があった。その頃の絵や写真を見ると、いがぐり頭の男の子が絣の着物の上に白いエプロンを着けている、なんて姿を見ることができる。あれは大変可愛らしくて良い物だ。  エプロンにこうして穴が開いてしまうと、下の服を守るという機能が果たせなくなるわけで、そのことで怒られるのをこの子は心配しているのだろう。  エプロンで服を守り、長く着る。傷みが少なければ、古着屋に売るときにも高値がつく。子供はすぐ大きくなるから、服はすぐに売るか交換する予定だろう。その服が汚れてしまうということは、家計に影響することなのだ。家計に影響するということはつまり、お母さんのご機嫌にも影響する。  そのことが、子供のうちから充分わかっているのだ。賢く健気な様子に思わず呻いてしまう。 「う……っ」  私の技術なら、このくらいの穴すぐに直せる。  直せる、けど……。  もう、お針子はしたくない。そんな前世は捨てて、レストランの看板娘として生きるって決めてるんだから。    だけど……  私は女の子の姿をちらっと見る。  うう、なんて大きなおめめ。なんてくるくるの金髪。お人形さんみたいに可愛い。  その可愛らしい女の子が、困って、途方に暮れている。  あー、ずるい。十八世紀ヨーロッパふうの世界ずるい!  気づいたら私は「大丈夫! おば……お姉ちゃんが直してあげる!」と口走っていた。  女の子を路地裏に連れて行くと、ポケットを探り、裁縫道具を取り出す。  実は最初にマスターからお賃金を貰ったとき、揃えてあったものだ。  いやまあほら、布が貴重だから。自分の服は自分で繕えたら、よそにお直しに出すお金もかからないでしょ。   「エプロンだけちょっと貸してね」  私は女の子をその辺にあった木箱に座らせると、エプロンを受け取った。  この世界、庶民の服は目の粗い麻か綿。女の子のエプロンも麻だった。これならかけはぎが簡単だ。  私はよーくエプロンを吟味して、目立たず、かつ機能的に問題のない部分から、布を四角く切り取った。  針先を使って、四辺の繊維を慎重にほぐす。  そしてエプロンの穴に差し込んで、丁寧に埋め込んで行く。ほとんど元の穴はわからなくなった。  あっという間にできてしまって、なんだか物足りない。 「うーん、裾の処理も雑だな……よーし」  私はエプロンの裾を一度解いて細く三つ折りにすると、綺麗にまつり縫いで仕上げてあげた。これでずいぶんほつれにくくなるはずだ。  前世で成人式の着付けを手伝ったとき「ヘアメイクしてる二十分の間に襟付けといて!」という無茶な要求にも応えてきた私だ。手の早さには自身がある。  ひょっとして、着物を着なれない人はご存じないだろうか。  着物の首元に見えている襟、あれは長襦袢という下着に〈都度〉縫い付けているものなのだ。  着物自体は頻繁に洗えるものじゃないから、一番汚れやすい襟を取り替える。  そういう衛生面の問題だけじゃなく、襟を替えることにより、首元に見える色柄が変わるから、一枚の着物を何通りにも着こなせる。  着物って、高いってイメージがあると思うけど、実は一枚あればあとは小物を替えて色々楽しめるものなのだ。  おっと、閑話休題。 「はい、できた!」  ばーんと広げて見せると、女の子は目をまん丸にして、きょとんとした顔をした。  おそるおそるといった様子でエプロンに触れ、呟く。 「まほう……?」  あー、なんて可愛い。  お直しは、高額のお仕立てが入らないときに仕方なくちまちまこなしていた仕事だったのに、そんなふうに言ってくれるなんて、子供は純粋だ。 「まあ、この体だと老眼もないし、このくらいは余裕よ、ふふん」 「ローガン……?」 「なんでもないなんでもない。でもこれでお母さんに怒られないでしょ。あ、おば……お姉ちゃんが直してあげたことは、内緒ね」  穴をあけてしまったことを話したら怒られてしまうだろうから、わざわざ自分から話すことはないだろうけど、一応念押しする。女の子は「うんっ!」と大きく頷くと、とててっと路地裏を駆けていった。  あの分では、またすぐに穴を空けてしまいそうだ――転ばないかしばらく見送ってから、私は立ち上がった。 「早く帰って夜の仕込みしなきゃ――ひっ」  思わず悲鳴を上げてしまったのは、路地を塞ぐように人が立っていたからだった。  威圧感漂うその影―― 「あ……アラン、様? なんでここに?」 「宿舎へ帰る途中だ。この路地を抜けると、近い」  あ、ここが近道ですかそうですか。一瞬不敬罪で切り捨て御免されちゃうのかと思った。 「それは、お邪魔してすみません。どうぞどうぞ」  私は道の脇によけ、道を譲る。  なのにアラン様は、微動だにしなかった。  え、なんで。急いでいるから近道を使うんじゃないのかな。  むしろ私は急いで帰らなくちゃ。  ぺこっと会釈だけして、アラン様の脇をすり抜けようとしたとき、ずいっと道を塞がれた。  危うくアラン様の胸板に鼻先をぶつけてしまうところだった。この姿の私、前世より鼻が高いから、未だにちょっと車幅感覚がつかめないときがある。  見上げると、アラン様がものすごーく険しい顔で、言った。 「今夜、店が終わってから、ノアイユ通り一七番に来られるか?」
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