えっと、〈王子の愛〉とかでなく?

1/1
117人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ

えっと、〈王子の愛〉とかでなく?

 その夜、店が終わったあと、私は街を歩いていた。 「ノアイユ通り一七番、ここか……」  目指す建物を見つけて、足を止める。気持ちは夜の闇に負けないくらい暗い。  失敗したなあ。  まさかアラン様が、わざわざあとで呼び出して来るほど怒っているとは思わなかった。  きっと私、斬り捨て御免されちゃうんだよね。  店とか、市ですぐに斬られなかったのは、大騒ぎになるのを避けるためだろう。  店が血で汚れたらお客さん来なくなっちゃうし。  そこを気遣ってくれたなら、むしろ破格の温情と言える。ちなみにレストランの部屋は綺麗に片付けてきた。さようならマスター、さようなら奥さん。短い間でしたが、お世話になりました。  私は覚悟を決めて、ノッカーを鳴らした。すると。 「はーい!」  中から聞こえて来たのは、若い女性の声だった。  あれっ、指定された場所間違えた?  うろたえている間に、ドアが開き、そこには、二十歳くらいの女の子が立っていた。褐色がかった金髪の女の子だ。 「あなたがローズね? ああ、無事来てくれて良かった」  私が答えるのも待たずに、女の子は部屋の中に向かって叫ぶ。 「もう、お兄様ったら! 女性を夜に呼びつけるなんて!! ――気が利かなくて本当にごめんなさい。あ、私エステルよ。アランは私の兄」  名乗られて納得した。髪色こそ違うものの、どこか顔立ちがアラン様に似ている。思ったそのとき、エステル様の背後から、ぬうっと長身のアラン様が現れた。  心なしか、いつもに輪をかけて仏頂面だ。  待って、ここにエステル様がいるってことは――  これだけは言わなければ。 「アラン様。私が斬り捨てられるのは構いませんけど、うら若き女性にその現場を見せるのは、精神衛生上ちょっと!!」  数分後、部屋の中に通された私は、エステル様がいれてくれた紅茶を口にしていた。エステル様はまだくすくす笑っている。 「切り捨て御免なんて、近衛騎士にそんな権限はないわよ」 「……すみません」  穴があったらかがりたい。じゃなかった、入りたい。 「えっと、じゃあ、本日私どうして呼ばれたんでしょうか……?」  訊ねると、エステル様は可愛らしくほっぺを膨らませた。 「お兄様ったら、本当になんにも話してないのね。お願いする立場だっていうのに」 「……すまない」  ソファに窮屈そうに収まっていたアラン様は、申し訳なさそうに口にする。  お、アラン様、さてはエステル様にあまり頭が上がらない? さっきいつにも増して仏頂面だったのは、妹さんに「めっ」されたからだったの?  王宮のイケメン騎士団長、実は妹に弱い。いいぞ、好きな属性だ。 「ローズ」  エステル様があらためて私の名を呼ぶ。私は居住まいを正した。 「はい。エステル様」 「――あなた、裁縫の腕があるというのは本当?」 「え?」  隠していたのに、どうしてそれを――と考えて、思い当たった。  今日、市で。ついつい女の子のエプロンを直してしまったんだった。  あのときは思い至らなかったけど、アラン様はその様子を見ていたのだろう。  だけど、なんでわざわざそれを確認するんだろう。  わけがわからないと思いつつ、念の為、余計なことは言わないよう用心して、無言で頷く。    それを見た途端、エステル様の顔がぱあーっと輝いた。  と思うと、椅子から降り、私の前に跪く。圧倒される私の手を、両手で握った。 「私のドレスを縫って欲しいの! 大急ぎで、それも最高のものを!!!!」 「――はあ」  私の口から、気の抜けた声が出た。  ぴんときていない様子の私に、エステル様はまくしたてる。 「今度、王宮で王妃様主催の舞踏会があるの、その席で着るドレスよ」  おお、いかにもファンタジーっぽい。そうか、エステル様はその席で目に留まりたい王子様なり、貴族様なりがいらっしゃるのね。  実は私、冒頭を読み始めたところで事故に遭ってしまったから、この物語の全体像がよくわかってなかったのよね。そうかそうか、この世界の主人公はエステル様だったか。  ひとり納得してうんうん頷いていると、エステル様はさらに鬼気迫る勢いで言った。 「その場でなんとしても王妃様の目に留まって、私、女官の仕事に就きたいの!!!!」 「……仕事?」  えっと〈王子様の愛〉とかでなく??
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!