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えっと、〈王子の愛〉とかでなく?
その夜、店が終わったあと、私は街を歩いていた。
「ノアイユ通り一七番、ここか……」
目指す建物を見つけて、足を止める。気持ちは夜の闇に負けないくらい暗い。
失敗したなあ。
まさかアラン様が、わざわざあとで呼び出して来るほど怒っているとは思わなかった。
きっと私、斬り捨て御免されちゃうんだよね。
店とか、市ですぐに斬られなかったのは、大騒ぎになるのを避けるためだろう。
店が血で汚れたらお客さん来なくなっちゃうし。
そこを気遣ってくれたなら、むしろ破格の温情と言える。ちなみにレストランの部屋は綺麗に片付けてきた。さようならマスター、さようなら奥さん。短い間でしたが、お世話になりました。
私は覚悟を決めて、ノッカーを鳴らした。すると。
「はーい!」
中から聞こえて来たのは、若い女性の声だった。
あれっ、指定された場所間違えた?
うろたえている間に、ドアが開き、そこには、二十歳くらいの女の子が立っていた。褐色がかった金髪の女の子だ。
「あなたがローズね? ああ、無事来てくれて良かった」
私が答えるのも待たずに、女の子は部屋の中に向かって叫ぶ。
「もう、お兄様ったら! 女性を夜に呼びつけるなんて!! ――気が利かなくて本当にごめんなさい。あ、私エステルよ。アランは私の兄」
名乗られて納得した。髪色こそ違うものの、どこか顔立ちがアラン様に似ている。思ったそのとき、エステル様の背後から、ぬうっと長身のアラン様が現れた。
心なしか、いつもに輪をかけて仏頂面だ。
待って、ここにエステル様がいるってことは――
これだけは言わなければ。
「アラン様。私が斬り捨てられるのは構いませんけど、うら若き女性にその現場を見せるのは、精神衛生上ちょっと!!」
数分後、部屋の中に通された私は、エステル様がいれてくれた紅茶を口にしていた。エステル様はまだくすくす笑っている。
「切り捨て御免なんて、近衛騎士にそんな権限はないわよ」
「……すみません」
穴があったらかがりたい。じゃなかった、入りたい。
「えっと、じゃあ、本日私どうして呼ばれたんでしょうか……?」
訊ねると、エステル様は可愛らしくほっぺを膨らませた。
「お兄様ったら、本当になんにも話してないのね。お願いする立場だっていうのに」
「……すまない」
ソファに窮屈そうに収まっていたアラン様は、申し訳なさそうに口にする。
お、アラン様、さてはエステル様にあまり頭が上がらない? さっきいつにも増して仏頂面だったのは、妹さんに「めっ」されたからだったの?
王宮のイケメン騎士団長、実は妹に弱い。いいぞ、好きな属性だ。
「ローズ」
エステル様があらためて私の名を呼ぶ。私は居住まいを正した。
「はい。エステル様」
「――あなた、裁縫の腕があるというのは本当?」
「え?」
隠していたのに、どうしてそれを――と考えて、思い当たった。
今日、市で。ついつい女の子のエプロンを直してしまったんだった。
あのときは思い至らなかったけど、アラン様はその様子を見ていたのだろう。
だけど、なんでわざわざそれを確認するんだろう。
わけがわからないと思いつつ、念の為、余計なことは言わないよう用心して、無言で頷く。
それを見た途端、エステル様の顔がぱあーっと輝いた。
と思うと、椅子から降り、私の前に跪く。圧倒される私の手を、両手で握った。
「私のドレスを縫って欲しいの! 大急ぎで、それも最高のものを!!!!」
「――はあ」
私の口から、気の抜けた声が出た。
ぴんときていない様子の私に、エステル様はまくしたてる。
「今度、王宮で王妃様主催の舞踏会があるの、その席で着るドレスよ」
おお、いかにもファンタジーっぽい。そうか、エステル様はその席で目に留まりたい王子様なり、貴族様なりがいらっしゃるのね。
実は私、冒頭を読み始めたところで事故に遭ってしまったから、この物語の全体像がよくわかってなかったのよね。そうかそうか、この世界の主人公はエステル様だったか。
ひとり納得してうんうん頷いていると、エステル様はさらに鬼気迫る勢いで言った。
「その場でなんとしても王妃様の目に留まって、私、女官の仕事に就きたいの!!!!」
「……仕事?」
えっと〈王子様の愛〉とかでなく??
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