しがない泥棒

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 いやだなぁ、刑事さん。  そんなに怖い顔しないでくださいよ。  そうやって凄んだり脅したりしなくたって、私は全てを包み隠さず話します。  そのつもりで、こうして自ら警察署まで出向いているんですから。ね?  落ち着いてくださいって。  そちらの白髪頭の刑事さんなら、今さら私が嘘なんて吐かないことは分かってらっしゃると思うのですが、いかがですか?  ……そうですね、温かいお茶がいただけると嬉しいです。なんせ、これは長い話になりますから。    若い頃にスリの技を覚えてから、私はこの年齢になるまで盗みを生業にして生きてきました。  先程若い刑事さんが言われたように、刑務所に入っていた時期もあります。  まぁ、日陰の人生ですよ。  まともな仕事に就いてみようと努力してみた事もあるんですが、身に染み付いた悪癖というのはいかんともしがたいですね。すぐにこちら側に戻ってきてしまいました。  アルコールにイカれて財布を抜き取る指が震えるようになってからは、空き巣を専門にするようになりました。  とはいっても、でかい盗みはしません。  昼の時間に忍び込んで炊飯器の中の白飯を茶碗一杯頂いたり、冷蔵庫の缶ビールを一本だけ抜き取ったり、そんな程度です。  やり始めのルーキーはでかい獲物を狙いにいってトチったりもするもんですが、私ぐらいになるとその日の食い扶持だけを稼げればそれで満足するんです。  大切なのは気付かれない事です。  違和感があったとしても、自分の気の所為かな、と家主が思ってしまうくらいが丁度いい。  そうやって私は長らく暮らしてきました。その生活になんの不満もありませんでした。  問題が起きたのはある年の秋の事でした。  長年寝床にしていた手作りの住処が、五輪だか万博だかに伴う街のクリーン作戦とかで丸ごと撤去されてしまったんです。  私は途方に暮れましたよ。  冬が迫っていましたから。極寒の中では、寝床の有無は文字通り死活問題なんです。  私は僅かな小銭と愛用の鍵開け道具だけを持って北風の吹く町を彷徨い歩きました。  田所、という表札がかかったあの古い一軒家に忍び込んだのは、そんな時の事でした。  刑事さんは、我々が仕事をしやすいと感じる家の条件はご存知ですか?  ……ええ。流石です。お詳しいですね。  田所の家は、まさにそんな特徴を備えていました。手入れされていない庭木は鬱蒼と生い茂っていて外からの目隠しになりましたし、ポストには大量の郵便物が突っ込まれていて、家主があまり几帳面ではない事も予想できました。  それに加え、玄関先に積まれた大量のビニール袋を見て、私はその家に忍び込むことに決めました。袋には多種多様な酒類の空き缶が詰め込まれていました。この家であれば、間違いなく潤沢に酒の備蓄があるだろうと私は予想しました。  私にとって酒を飲む事は、人生で唯一の楽しみだったんです。  いつものように手早く鍵を開けると、玄関から家に入り込みました。その瞬間、獣の身体のような臭いが鼻を突きました。家の中は想像以上の荒れ具合でした。  とにかく物が散らばっているのです。  鞄や衣服が至る所に積まれていました。それらはけして清潔とは言えませんでした。  ……ええ、汚れていましたよ。  その時には、それを気に留めるような余裕はありませんでしたが。  靴を履いたまま部屋に入り込み、酒とつまみになりそうな食べ物を探していると、不意に二階の方から物音がしました。  私は息を呑みました。  それまで、家の中に人のいる気配は全くしていなかったからです。想定外でした。長い空き巣人生の中でも、こういった類の失敗は初めてだったかもしれません。  早くここを立ち去らなければ。  そう思って足を踏み出そうとした時でした。後ろの方から、ガチャリと音がしました。玄関の扉に外から鍵が差し込まれたのです。  家主が帰ってきたようでした。 「あれ……俺、鍵かけてなかったかなぁ」  しゃがれた男性の声が、扉の向こうでブツブツと呟いているのが聴こえました。  見つかる。そう思った私は咄嗟に身を隠しました。隠れる場所はいくらでもありました。至る所に衣服が積まれていましたから、その下に潜り込めば良かったのです。  汚れた布の塊の下で身体を丸めていると、近くを男性が通り過ぎて行きました。フンフンと上機嫌な鼻歌交じりで台所へと向かった男性は、そのまま料理を始めたようでした。  それが、私と田所家の奇妙な共同生活の始まりだったんです。    変だと思いますか?  ええ、自分でもそう思います。  どうして空き巣の私が、偶然盗みに入っただけの田所家に居着いてしまったのか。  指折り数えれば、それらしい理由は幾つかあるんです。  当時、その年の厳しい寒さに耐えられるような住処を持っていなかったこと。  ほとんどゴミ屋敷といっても過言ではない田所家では身を隠しやすかったこと。  缶ビールの買い溜めが大量にあったこと。  家主の耳が悪く、多少の物音をたてても気付かれる様子が無かったこと。  けれども思い返してみれば、一番の目的はあのスープだったのだと思います。家主の田所淳一さんが作る、温かなスープです。  聞けば淳一さんは既に八十五歳を超えていたらしいですが、私の目には六十代くらいにも見えました。びっしりとした白髪頭ではありましたが、背中はピシャリとまっすぐでしたし、肌にも脂っ気がありました。  外出から戻ると、淳一さんはいつもそのまま台所に向かいました。両手いっぱいになる程の材料を、大きな鍋にたっぷりの水を張って火にかけるのです。引きこもっている息子の勇太君の分まで、淳一さんが全て食事を用意しているようでした。  勇太君については、わざわざ私が説明するまでもないでしょう。彼の来歴や人格については、刑事さんたちの方が詳しくお調べになっていることと思います。  正直言って、私は彼の事があまり好きではありませんでした。五十歳になろうともいうのに働きもせず、実家で父親の世話になりながらゲームばかり。玄関先にまとめられていた酒の缶も、ほとんど彼が空けたものです。  刑事さん達のような立派な方々からしたら、私も彼と同じような社会の落伍者と思われるかも知れません。  しかし、少なくとも私にはこれまで自分の力と技で生き抜いてきたという自負があります。他の誰かに頼り切って無責任に生きてきた訳ではないのです。勇太君と私は違う。それだけは分かって欲しいんです。  ……すみません、話がズレましたね。  そう、スープの事です。  田所家の収入は、二ヶ月に一度支給される淳一さんの年金だけでしたから、とても満足と言えるものではありませんでした。  その上、勇太君の酒代やゲーム代、ネットの通信料もバカにならない金額でしたので、淳一さんの苦労は相当なものだったと思います。  NPO団体の「ひまわり」から幾らかの食料が現物で支給されていたようでしたが、それだけでは到底足りなかったのでしょう。  淳一さんは自らの足で歩ける距離をまわって、食べられる食材をかき集めていたようでした。河川敷の野草や食用にできる球根。林に群生していたきのこ。時には、野鳥や小型の生き物を獲ってくることもありました。  ……そんな顔をしないで下さいよ、刑事さん。野にあるものを食べるのは、気持ちが悪いことだと思いますか?  それは偏見です。  私に言わせれば、管理されて育った野菜や養殖の生き物しか食べられない人間の方がよほど気持ちが悪い存在のように思えます。  ……すみません、言葉が強かったですね。  とにかく、淳一さんのスープにはたくさんの種類の素材が使われていました。  鍋一杯の具材を、沸騰させないような火加減でグツグツと煮込むのです。料理をしている時の淳一さんは、いつも機嫌の良さそうな鼻歌交じりでした。  きっと料理が好きだったのでしょう。  鼻歌の曲目はいつも決まってジーン・ケリーの「雨に唄えば」でした。  料理が出来上がると、淳一さんは鉢のような大きな器いっぱいにスープを盛り付け、その上からピッタリとラップフィルムを張りました。冷めにくくするためです。  息子の勇太君は日に一度のトイレ以外には部屋を出てくることはありませんでしたから、食事はいつも淳一さんが部屋の前まで運んでいるようでした。  ゲームをしている最中に声をかけると勇太君は奇声を発して部屋の中で暴れ回ってしまいます。ですので、食事は彼のタイミングで食べてもらうしかないのです。  おぼんにスープと数本のアルコール飲料を乗せて、淳一さんは毎日勇太君の部屋がある二階へと向かう階段をのぼっていきました。そして、その手に勇太君が飲み終えた後の空き缶を携えて一階に戻ってくるのです。勇太君は空き缶の処分すらまともにこなせなかったようでした。  淳一さんは自分の食事を済ませると、いつもすぐに眠ってしまいました。  寝室からいびきが聞こえ始めると、私は隠れていた場所からそろりそろりと抜け出して、台所へと向かいました。  そこにある温かいスープを食べる為です。  シンクの周りに適当に転がっているお椀を手に取り、まだホカホカと白い湯気を立てているスープを注ぎ込んでいきます。  お椀に口を付けてズズズと啜ると、それだけで身体が暖まっていくようでした。  味付けは何だったんでしょう。  きっと珍しい香辛料を使っていたのだと思います。あまり馴染みのない風味でした。ただ間違いなく言えることは、そのスープがとても美味しかったという点です。  私はそうして毎日、一杯のスープと一本のビールをいただきました。大きな鍋でしたから、一杯分のスープが減っていたところで淳一さんに気付かれることはありませんでした。沢山あるビール缶も同様です。  そうして、私は日々を過ごしていました。冬が過ぎて気候が暖かくなるまでは、この家にお世話になろう。毎日、一杯だけスープをいただこう。そう考えていました。  本当にそれだけで良かったのです。  暖かい寝床と食事、自分の生命を守る最低限のものだけです。  ……ええ。罪に問われることは分かっています。ですが、理解して欲しいのです。あの冬、私もまた命の危機に晒されていた。それも一つの事実なのですから。    淳一さんが亡くなったのは、突然のことでした。散歩中に足をつまずかせて頭を打った。その打ちどころが悪かった、と私は聞いています。相違ないですか?  ……なるほど。そうなんですね。  私がその話を耳にしたのは「ひまわり」の職員が勇太君を訪ねて田所家にやってきた時です。  数日間、家に帰ってこなかった淳一さんの行方が気になっていた私は、職員が勇太君に話をしている玄関の近くに潜んで、ずっと聞き耳を立てていました。  淳一さんの死の知らせを聞いても、勇太君の態度は相変わらず憮然としたものでした。そもそも他人と言葉を交わしたのも数年ぶりの事だったでしょうから、うまく感情を表現することができなかったのかも知れません。  「ひまわり」の職員は、これからの事について淡々と申し伝えました。遺体の引き渡し、火葬の段取り。就労支援を受ける意志があるかの確認。勇太君は黙って話を聞いていましたが、淳一さんの遺体をそのまま荼毘に付する事だけは断固として拒否しました。  何故かはわかりません。きっとそういった儀式に際する事情というのはご家庭によって異なるのでしょう。  勇太君の主張を「ひまわり」の職員が全て受け入れた訳ではないかもしれません。しかし、そうやって淳一さんの遺体は、一度田所家に帰ってくることになりました。  仏壇のある和室にドンと置かれた簡素な棺を前にして、勇太君はただぼんやりと、自らの面倒を見続けてきた父親の変わり果てた姿を見つめていました。  私は相変わらず姿を現す事なく潜んだままでしたが、淳一さんの死にはそれなりにショックを受けていました。  悲しかったのです。  当然、私と淳一さんの間に交流などは一切ありません。ですが、私はずっと彼の作った温かいスープを食して命を繋いできました。  そのスープは、淳一さんが息子の勇太君の為に愛情を込めてこしらえた物でした。少しでも栄養のあるものを食べさせたい。お金もないなかで必死に材料をかき集め、長時間味を見ながら煮込んだスープです。淳一さんの勇太君への思いは、他人である私にもひしひしと伝わってくるものでした。  私は、淳一さんを人として尊敬していました。老いてなお、献身的に息子の世話をするその姿に無償の愛を感じました。  雑然と積まれた衣服の下で私が涙を拭いていると、それまで茫然と棺を眺めていた勇太君がすっくと立ち上がり、台所の方へと向かっていきました。  何をするのだろう。そう思って私は彼の姿を出来る限り目で追いかけました。  再度、淳一さんの遺体がある部屋に現れた勇太君の手には鉈が握られていました。鈍い光を放つ鉈は、生前の淳一さんが愛用していたものでした。  ハァハァと荒い息を漏らす勇太君は、棺に眠る淳一さんの遺体を目掛けて、その鉈を振り下ろしました。  ゴッ、と鈍い音がしました。  それは鉈の刃が骨にぶつかった音でした。  解体の経験が少なかった勇太君は、関節の部分にうまく鉈を命中させる事が出来なかったのです。  その時、私は勇太君が何をしようとしているのか、よくわかりました。  同時に、勇太君がそのレシピを知っていたという事実に少しだけ驚きました。  なんせ彼は、ほとんど自分の部屋に篭ってゲームをしているばかりで、淳一さんの手伝いをしている場面なんて一度も見かけた事がなかったからです。  そうです。  勇太君はスープを作ろうとしていました。  加工しやすいように四肢を切り分け、血を洗い、皮を剥いで、食べやすい大きさになるまで小さくカットする。  口で言うのは簡単ですが、これは大変な作業です。人間ひとりの身体は想像以上に重たいですし、生半可な力では切れません。勇太君も途中で鉈からノコギリに道具を持ち替えて、必死の形相で加工をしていました。  ですが、淳一さんはずっとこの作業を一人で続けてきたのです。八十を超える年齢だというのに、すごいと思いませんか?  淳一さんのように鼻歌を効かせる余裕はなかった勇太君でしたが、数時間かけてようやく肉を切り分けるところまで到達しました。  赤黒い血が滲んだ死装束は汚れた衣服の山に積み上げ、勇太君は必要な分の肉を手に持って台所へと向かいました。  肘から指の先くらいの塊ならそのまま煮込む事ができる大きな鍋に水を張り、そこに材料を投入していきます。  正直に言わせてもらえば、彼の調理技術はお粗末なものでした。コンロの火は強すぎてお湯は沸騰していましたし、灰汁取りも不十分です。香辛料や香草が足りないせいで獣っぽい肉の臭いが家中に充満していましたし、全体の味付けもどうしたら良いのかよくわかっていない様子でした。  しかし、父親の淳一さんを弔おうとする勇太君の必死さだけはヒシヒシと伝わってきました。私は彼のことはあまり好きではありませんでしたが、その時だけは同じ気持ちでいたのだと思います。  数時間にわたる調理の末、勇太君は淳一さんのスープを完成させました。  愛用の大きな器にたっぷりとスープを盛り付けると、勇太君は猛烈な勢いでそれにむしゃぶりついていきました。  ガツガツと肉を喰らうその姿は、飢えた獣のようでもありました。  冷蔵庫に入っていた備蓄の缶ビールも、その時にほとんど飲み干してしまったのではないでしょうか。  やがて食卓に突っ伏すような体勢で勇太君が眠ってしまってから、私は隠れていた場所から這い出して立ち上がりました。  足音を立てないようにして、台所へと向かいます。途中、いびきを立てて眠る勇太君の横を通り過ぎました。彼の頬には涙が通った跡がすじになって残っていました。そういった感情が彼にもあったんだと、少し驚きました。  私はその時、不思議と涙ぐんでいました。奇妙な形であったとはいえ、同じ屋根の下で暮らしていた相手です。知らず知らずの内に思い入れを持っていたのかもしれません。  勇太君の丸い背中に赤褐色のシミが滲んだブランケットをそっとかけると、私はスープの入った大鍋の前に立ちました。  いつものように適当なお椀を手に取って、一杯だけ盛り付けます。  そのスープは白く濁っており、全体的に嫌な臭いが漂っていました。淳一さんの肉のスープは、淳一さんの作るスープとは違い、あまり美味しそうではありませんでした。  しかし、私はそれに口をつけました。  それが何も持たない私に出来る淳一さんへの、最大の弔いだと思ったからです。  立ち昇る臭気に耐え、私は器に残る最後の一滴までしっかりと飲み干しました。器を空にした後、舌の上に異物感がありましたので、ペッペと吐き出してみました。それは毛でした。白髪でしたから、淳一さんのものでしょう。下処理が甘く、まだ肉に付着していたんだと思います。  もう二度と、淳一さんの作る甘美なスープは飲むことはできない。そう強く実感したのは、その時だったと思います。  その夜、私は田所の家を出ました。  季節は春を迎えていました。  霞がかった朧月の下を歩きながら、私は大きく伸びをしました。  次はどこに行こうかと、ぼんやりと考えを巡らせながら片手に携えた鍵開け道具をカチャカチャといじっていました。    後の事はもうご存じでしょう。  勇太君は下校中の小学生を攫おうとして、あっけなく取り押さえられました。  子供なら自分でも捕獲できるとでも思ったのでしょうね。浅はかです。淳一さんはもっとよく考えて、うまくやっていました。  取り調べの段階で、田所家の台所に隠されていた夥しい量の人骨と、腐乱した淳一さんの死体が発見されました。  刑事さん達も驚いた事でしょう。  世間は大騒ぎでしたね。  令和のシリアルキラーだ、食人鬼だ、なんていって。  でもね、刑事さん。  私が話した事が全ての真相なんです。  勇太君は、人を殺していません。  彼は、父親の淳一さんの遺体の解体こそやりましたが、次の段階では未遂に終わりました。  獲物の捕獲すらままならなかったのです。  ……これは名誉に関わる問題です。  是非、私の話を証言として採用してもらいたい。その為に私は罪に問われる事を承知でここに出頭してきたのですから。  ……え?  いやいや、私に勇太君を庇うような気持ちなんて毛頭ありませんよ。名誉とは、そういう意味で申し上げた言葉ではございません。  彼は本当に何もしてこなかったんです。住む家がありながら、面倒を見てくれる親がいながら、働きもせずにゲーム三昧。  ただ怠惰を貪る日々を送ってきた。  そんな勇太君には、与えられるべき評価なんて何一つ無いはずなんですよ。  侮蔑も憎悪も賞賛も彼にはもったいない。  あれだけの大量殺人を行い、汗を流して死体をバラし、その上美味しく調理したのは、全て淳一さんなんです。  それが善行であれ、悪行であれ、評価されるべきなのは、事をなした本人でなければならないと私は思います。  だから、お願いします。  勇太君の裁判で、私を証言台に立たせてください。  それが、このしがない泥棒に出来る最後の恩返しなんですから。  
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