1人が本棚に入れています
本棚に追加
ことごとく誘いを断ったのは、なにも気乗りしなかったからではない。
俺には「帰る」という予定があった。
ここまで聞くとなんだか屁理屈っぽくて我ながら鼻につくが、もちろんただ帰るわけじゃない。
いつもは電車で片道ニ十分かけて登下校している道のりを歩いて帰る。羽を伸ばしに街へ繰り出した生徒たちとジャンルが違うだけで、いわばこれも遊びの一種といえるだろう。
テスト明けの達成感と解放感を満喫するには、この徒歩下校が俺にとって最適だった。そして歩いて帰りたい衝動に駆られるのはテスト最終日(夏場以外)くらいなものだから、どうしても友達の誘いよりこっちを優先してしまう。
校門を抜け、スマホを取り出す。
時刻は正午を少し回っていた。
さほど空腹は感じていない。とりあえず帰路を進むことにする。
徒歩下校。始まりは高一の末だった。
期末試験最終日。今日同様に午前で学校が終わり駅に向かっていたとき、突如冒険心みたいなものがむくむくと湧いてきて、距離とか時間とかそんなの考えることなく、次に踏み出した足は駅へのルートを外れていた。
そうして始まったこの徒歩下校は今回で三回目となる。
秋の中間終わりは雨で断念していたので今日は晴れてくれてよかった。
外気温は十二月の初頭相応で、顔を覆いたくなるような寒さはまだない。風は少し冷たいけれど、陽が差しているのでほんのり暖かく、絶好の下校日和だ。
表通りに出て、なだらかな坂道を下っていく。
「本」と書かれた屋上看板が見えた。
学校のほど近くに立地していながら、なぜか同じ学校の生徒と出くわさないと評判の本屋さんだ。平屋建てでコンビニ五、六個分ほどの大きさがある。
ドアをくぐり、入り口右手にある漫画コーナーに入る。
うちの高校の男子生徒が二人いた。まあそういうこともある。
新刊棚の前に立ち、平積みされた単行本を見下ろす。初めて目にするタイトルがいくつかあった。試し読みの小冊子をぱらぱらとめくり、閉じる。
見覚えのある表紙が目に入った。
たしかネットで話題になっている漫画だ。紙の本がどこへ行っても手に入らないという話だったが、普通にある。
ここは漫画の品揃えが豊富だ。加えて、なんであれ残っている。通販サイトは在庫なし。大型書店でも同様。それでもここには必ず残っている。
経験上この店で買えなかったことは一度もない。本を求めて足を運んだのに手ぶらで帰宅、なんて寂しい思いをしたことがなかった。
「――20××年。十月放送開始」
澄みとおった声が耳に届いた。
「――忘れられない人はいますか」
映像化作品コーナーのモニターに現在放送中アニメのPVが流れている。
時折意識の隙間にすっと入ってくるその音声は、ゆったりした時間の流れを損なわせんとするかのように最適な音量に絞られており、居心地の良さを高めてくれていた。
歩きながら、時には足を止め、新刊を中心にのんびり一通り眺めた後、雑誌コーナーへ移動した。
表紙を前にして段々に並ぶインテリア雑誌と向かい合う。気になったものを順に手に取り、さらさらと目を通す。
洗練された温もりのある部屋、写真越しにもコーヒー豆の香りが漂ってきそうなヴィンテージ調の部屋、そこで暮らせば頭が冴えそうな部屋の数々に幸福感と憧れをかきたてられる。
こんなマイホームを持ったら毎日が清々しく、何事もなんとかなるような気がした。
でも、今は特別に感じるそういう空間も当たり前の日常になってしまったら。やっぱり今までとなんら変わりなくなってしまうのだろう。
夢のない考えだと自分でも思う。けれど俺にとっては大事なことだった。
何事も必要以上に期待したくないし、がっかりしたくない。現実に目を向けがちなのは、幾度となく期待を裏切られた結果というより、生まれもっての性格な気がする。
幼い頃から願い事はいつだって、「今年も一年健康に過ごせますように」と自身の無病息災を願う子どもだった。今となっては願い事をしなくなってしまったわけだけど、もし一つだけ願いが叶うとすれば、金でも愛でもなく、一生怪我なく病気なく、安らかに最期を迎えられますようにと願うだろう。
気づけば店に入ってから一時間が経過していた。
お腹もすいてきたので店を出た。
最初のコメントを投稿しよう!