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「珍しいねえ、しーちゃんから電話なんて」
しーちゃん、加賀栞だからしーちゃんだ。「困っている人の道標になれるように」との思いを込めてくれたようだが、他でもない私が一番人生に迷っている。優しい声音を聞いていると決意が揺らぎそうだったので、すぐに本題を伝えることにした。
「お母さん、ごめん。帰るのやっぱり考えさせて欲しいって言ったらダメかな……」
「あら、どうしたの突然。やっぱり本当は帰りたくなかった?」
「いや、最初は帰っても良いかなって思ってたよ。けど今は…… こっちで新しく仕事見つけて、一からまた頑張りたいって思ってる。まだやりたい事も見つからないし、具体的な事は何も決まってないんだけど…… こんなんじゃ納得できないよね」
「そうねぇ。お父さんも言葉にはしないけど、しーちゃんが帰ってくるの大分楽しみにしてるみたいだから……」
容易に目に浮かぶから余計に辛い。口下手であまり言葉にはしないけれど、悲しければしょんぼり肩を落とし、嬉しければ目をキラキラさせて口元が緩むのをキュッと堪える。逆に分かりやすい人なのだ。
「……うん、分かった!お母さんから上手く伝えておくわ」
「えっ、いいの? 本当に? こんなあっさり?」
「だって、私たちまだまだ介護は必要ないし。病気が見つかって、家族が恋しくなっちゃってね。しーちゃんも東京での生活があんまり上手くいってないみたいだったから、それなら皆で仲良く過ごしましょうってだけだったのよ」
「上手くいってなく見えた?」
「うん。東京での生活がって言うより、昔っからね。しーちゃんは何が好きで何がやりたいのかをあんまり言わない子だったから。だから今、自分の意思で何かしたいと思っているなら、その気持ちを大事にして欲しいな。それがお父さんとお母さんにとっても、一番の幸せだから」
安藤さんも両親も同じだ。最初から敵なんかではなく、助けを求めれば手を差し伸べてくれる人達。それを勝手に心を閉ざして、従わなくてはいけない相手だと思い込んでいた。自分の足で歩くのが怖くて、鎖で引っ張られる方が楽だと思ったんだ。
「お母さん」
「なあに?」
「産んでくれてありがとう」
「やだぁやめてよ! 最近めっきり涙腺緩んできちゃったんだから」
昔から自分の名前を心から好きにはなれなかった。折角願いを込めて付けてくれたのに、それに見合っていない自分が嫌だったから。
今とても、誰かに名前を呼んで欲しかった。笑って返事ができる気がしたんだ。
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