出:解いた手

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 退勤後スマホを忘れオフィスに戻ると、そこには一人イスに腰掛ける宮野さんがいた。手にはレモンサワーの缶が握られている。私と目が合い「あっ……」と彼の表情が強張る。高鳴った鼓動がサーッと引くのが分かった。居心地の悪そうな彼を見て、舞い上がっていたのは私一人だけなのだと気付かされる。あの夜私は、彼に見放されていたのかもしれない。  しかし、嫌われていようがいまいが、受けた施しのお礼はすべきである。買っておいたお礼の品は今も私のデスクの引き出しに眠っている。スマホをしまい、件のコーヒーとお菓子のセットが入った紙袋を取り出して彼に差し出す。 「お疲れ様です。あの、先日は本当にありがとうございました。これ、つまらないものですが良かったらどうぞ」 「え! あ、そんな…… 俺がしたくてやった事だから全然良いのに。けど折角なので頂きますね。わざわざありがとう」  訪れる沈黙…… 私から切り出す。 「タイムカード……」 「え?」 「あの日以来、ちゃんと付けてます。最初は慣れなかったけど、今はもう、大分生きるハードルが下がったというか……  ずっと下手な息継ぎをしながら、溺れるみたいに生きていました。でも今は、海の底につま先がついた気分です。きっと私、幸せなんだと思います」  再びの沈黙…… 2度目は耐えられなかった。 「……本当にありがとうございました。お先に失礼します。お疲れ様です」  足早にオフィスを去ろうとすると、宮野さんがガタッと音を立てて立ち上がる。 「痛っ!! あ、あの! 俺ももう帰るとこだから…… よかったら一緒に帰りませんか?」  どこまで貴方に甘えて良いのだろうか、引き返すなら今ではないのか。当初の意見交換という目的はきっともう果たせているし、感謝の意も伝えることができた。全部全部頭では分かったいた。だけれど私の頭と身体は仲が悪いみたいだった。 「……はい、喜んで」  自然と笑顔になっていた。平静を装うなんて選択肢はなかった。  ごめんね、今日は繋いであげられない。  心の中で袖を引っ張る彼女の手を振り解いた。
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