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1.
「あ?大阪?大阪に入ったのか?」
カーナビの音声に、助手席の圭介が反応する。
洸太はうんざりしながら指でハンドルを二回、コツコツと叩いた。
「まーじかぁ。おい洸太、鶴橋行こうぜ、鶴橋。」
またか。
車で旅に出てから圭介はずっとこの調子だった。音声案内のたびに、予定していないはずの目的地を指示してくる。たぶん、思いつきだ。昨日は〈滋賀県に入りました〉の案内と同時に、琵琶湖に行きたいと言い出し、京都に入ると清水寺だと言うので駐車場を探して彷徨う羽目になった。そのわりに、いざ現地についてみると、まるで興味がなさそうな素振りをする。
別に、この旅に明確な目的や期限は何もない。だから圭介の提言を断る理由はどこにもなかった。
だが兎和山を出発して滋賀県までで、既に二泊である。この調子では、〈下関へ行く〉という一応の目標がいつ達成されるか、まるでわからない。
洸太は不安だった。仕事はしばらく休む旨伝えてあるし、気の済むまで休めと言われてはいるものの、予定と計画が欲しかった。貯金だって多くはない。せめて今日中に神戸まで抜けたい。
そう思った矢先に、鶴橋である。そもそも鶴橋って何だ?どこにあるんだ?
洸太はため息をつきながら、今度は三回ハンドルを叩いた。ささやかな抵抗だった。
すかさず圭介が笑う。
「まあそう言うなよ、洸太ァ。美味いもんが山程あるぜ。お前知ってるか?結構前に流行ったやつがあってさぁ、それが食いたいんだよな。なんて言ったかな……、パ……パ……パ行の何か」
それがパッピンスとかいうスイーツだとわかったのは鶴橋についたあとだった。
響きこそ聞き慣れないが、つまる所は韓国のかき氷だ。見たことのないトッピングがたくさん乗っていたので、写真映えは良さそうである。が、流行にうとく、大して興味もない洸太にとって、こういうものに金を出すのは気が引けた。
「甘ぇー。うめぇー。今日みたいに暑い日はこういうのに限るな。何年か前にさぁ、身内が言ってて食べたかったんだよな。『パルコのパッピンスまじやべぇっすよ!』って。ほら、もう一口くれよ」
圭介の方はご満悦である。ニコニコして、ぱかっと口を開ける。洸太は仕方なく、氷とトッピングのクリームを一匙すくってその口に入れてやった。彼は愉快そうにその匙を食んだ。
この行為にももう慣れてきた。が、場所が場所だけに、人の目が気になる。
洸太は壁のポスターを見るふりをしてあたりを見回した。
パステルカラーの狭い店内にはK-POPが流れ、三つあるテーブルの一つは女子大生と思しき二人組が居座っていた。
さっきからその席にいる巻き髪の女がこちらを見ている気がする。おそらく気の所為ではない。自分たちが場違いなのはよく分かっていた。
ポップな店の片隅に、三十路に片足を突っ込んだ男二人が座り、片方がもう片方に終始食べさせてやっている。しかも圭介の方にいたっては、目元を見られるのが嫌だと言ってサングラスまでかけている。
異様な光景だ。
もちろん二人は恋人ではなかった。洸太にはかつて男の恋人もいたが、昨日一昨日と圭介と一緒に寝泊まりしながら、こいつとはまず間違いは起こらないと確信できた。
食べさせてやっているのは、シンプルに食事介助の意味でしかない。
こんなチンピラみたいな男と付き合っていると、勘違いされたくはない。
『頼むから、はやく一人で食えるようになってくれ』
洸太は携帯のメモアプリに愚痴を書き込んだ。
その愚痴は、音声読み上げ機能によって即座に圭介のつけているイヤホンに届く。
音声を聞いた圭介が軽く鼻で笑った。
「しばらくは無理だぜ。見えなくなってからまだ四日しか経ってない。箸もスプーンもまるで勝手がわからねーんだ。距離感が全然つかめない。仕方がないだろ」
その返事に、またため息が出る。
『先が思いやられる』
「いいじゃねーか。ゆっくり行こうぜ。ほら、もう一口。」
再びぱかっと口を開けた。
圭介はそうやって、洸太の手からかき氷をすべて食べ、ついでに洸太の分も横取りしながら、次は大阪湾だと言って店を出た。
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