6.

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『それで』  自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、洸太が文字を打ち込んだ。夕日を含んだ潮風が腕を撫でる。 『お前、神さまに会ったのか』  圭介はニッと笑うと、黙ってシャツの襟元を下げた。  首筋が夕日に晒される。  そこには滑らかな、少し日に焼けた喉仏があるだけだった。  傷のようなものは一切見当たらない。 「門前払いだった。上の人達には会ったがな、お前は必要ないとハッキリ言われたよ。たぶん、高辻が生前何か言い含めていたんだろう。そうしてるうちに、奴らはあの街から消えた。神さまの助言とやらに従って、次の場所に向かったんだ。  だから俺は今、正真正銘のただのチンピラだぜ」  空笑いしながら、自分の首を撫でる。  洸太はその仕草に、見たこともない高辻という男の気配を――彼が確かに生きていた過去を感じた。 「高辻のことは恨んじゃいないが、ろくなヤツじゃなかったって思うぜ。確かにあいつは誰かのそばにいるようには作られてなかった。生きてるときも死ぬときも、さんざん俺を傷つけていった。うんざりだ」  圭介は吐き捨てるようにそう言ったが、洸太にはそれが、あまりにもわかりやすい強がりのように聞こえてならなかった。 『でもお前、ここに来たじゃないか。そいつの生まれ故郷に。』  圭介の首を撫でる指が、ぴたりと止まった。 「そうだよ。」  ざぁ、と波の音がして、向かい風が吹く。 「大阪って聞いたら居ても立ってもいられなくなったんだ。もうあいつが死んで十五年も経ってるのに、クソみたいな話だぜ。 ――そうだ。面白いもの見せてやろうか」  圭介はそう言うと、胸元のポケットから黒い革の眼鏡入れを探り当てた。洸太の方に向かって差し出す。 「開けてみろ」  言われた通りにしてみると、中から細い金縁の眼鏡が顔を出した。 「高辻が使ってたやつだ。俺がジジイになったらこれで本を読むつもりで、ずっと持ってた。まさか失明するとは思ってもみなかったがな、洸太、似てると思わないか、これ」  何に、とは言わなかったが、洸太にはすぐにわかった。(しずか)が生前にかけていたものにそっくりだったからだ。夕日がそのフレームの金を一層深く輝かせる。  かつて静が兎和山に来た夜を思い出す。洸太に会いに、死の淵からやってきた夜。  洸太の記憶と圭介の記憶、二人分の孤独が鮮やかなまま、この眼鏡に閉じ込められているように思えた。  海を見た。  太陽が水平線に飲み込まれていく。  オレンジの陽の光が、波打つ海一面に滲んでいた。海を囲む近代的なビルたちは、黒いシルエットとなってそばに佇んでいる。  圭介は立ち上がろうとしてよろめいた。まだ、一人では歩くこともままならない。あわてて洸太がそれを支える。 「っと……。話はこれで終わりだ。腹減ったな。飯、どうする」  洸太が捉えた圭介の肩は、昼よりもずっと華奢に思えた。 「食いたいもんねぇなら今日も俺が選ぶぞ。焼肉か、それか……」 『どうせなら大阪らしいものにしてくれよ。あと酒が呑みたい、』 「酒?なんだ、お前にしちゃ妙案だな。ならとっととホテル取って、車おいて呑みに行こうぜ。たのむから潰れるなよ。俺はお前がいないと三歩と歩けねぇんだからな。」  あまりにさり気なく言われたので、洸太はそのまま流してしまいそうだった。だがすぐに、それが彼の中で十五年しまい込まれていた言葉だということを理解すると、躊躇いがちに二回、圭介の手の甲を叩いた。  圭介は機嫌良さそうに鼻を鳴らし、海からそよぐ風にその髪を泳がせていた。 (了)
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