31「 梅にうぐいす」

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「ふあ、やっぱりまださむっ」 千鳥が雨戸を開けるとひんやりした空気と共に梅の花の香りがゆっくりと流れて来た。 「わぁ、今年も咲いたなぁ。いい香りー」深呼吸しながら、ふと高校生の頃を思い出し 「ふふ、懐かしい」 春翔への初恋と梅花の香りは、そっと千鳥の記憶を呼び覚ますのだろう。 「おはよう、千鳥」 「あ、おはよう洋さん」 野崎洋平が、そっと抱きしめる。 「洋さんみて!梅が咲いた」 「これ、梅の花の香りなんだ」 高校生の頃、この庭が好きで恋もしないと決めていた千鳥も、野崎の尊敬する仕事ぶりと優しさにいつしか心動かされ、野崎もまた千鳥の純粋さと一生懸命さに愛おしい人となった。 近々籍を入れる事になっている。 「今年も実、たくさんなるかな?」 千鳥は梅の香を、胸いっぱい吸いながら言った。 「千鳥の梅仕事、今年は俺も手伝おうっかな」 「本当?」 笑い合う二人だった。 「梅はその日の難逃れ、って言うけどさ、めんどくさい事からいつも逃れてぼんやり生きてきた私も、洋さんと仕事に出会って目標ができて、今の幸せがあるんだなって思った。梅干しが幸せくれるんじゃなくて、自分で人生作っていくものなんだね」 「へぇ、のんびりやでぼんやり気味が千鳥のトレードマークかと思ったら、すごい事考えてるんだ」 「もう、ぼんやり千鳥は返上してください!」 「ははは、まあ、俺は秘めたる千鳥の才能はすぐ見抜いたけどな」 「え?……あ、ありがと」 「これからは映像も人生も一緒に良いもの作っていこうな」 「うん、私が洋さんの梅干しになるから!」 「もう、梅干しばあさん宣言か?」 「違うよ!私は洋さんの難逃れになるんだってば」 二人の笑い声も、庭の梅の香りと一緒に溶けていった。 野崎の温かい腕の中で千鳥は思っていた。 春翔が縁で出会った二人もまた、始まりの全ては、この梅の木のおかげだと思うと不思議でもあり、小さい頃からこの庭が大好きだった千鳥の心が、梅の木にも通じたのかもしれないと感じている。 百花に先駆け春を告げる梅と言うが 梅が人の春を幸せを運んできたかもしれないと。       
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